Liên kết tài trợ / スポンサーリンク


Quảng cáo này xuất hiện trên các Blog không cập nhật bài viết trên 1 tháng
Nếu bạn cập nhật bài viết mới thì quảng cáo này sẽ mất đi

上記の広告は1ヶ月以上記事の更新がないブログに表示されます。
新しい記事を書くことでこちらの広告は消えます。
  

Posted by vietnhat at

2013/05/17

家族をオモイダシマスカ?

P3170122_convert_20130517215951.jpg
*じいちゃんとおやじ


久しぶりの更新です。
先月、親父の還暦祝い、そしてじいちゃんの米寿祝いをしてきました。

僕の家族は幸いにも、まだ亡くなった方がいない。
28歳という年齢になってとても珍しいことだと思う。

そんな恵まれた状況だったから、今まで家族のことについては
特に目を向けてこなかったように思う。

けれども、今回思い立ち、ちょうど60歳を迎える父親と
88歳を迎えるじいちゃんの米寿を同時に祝おうと、
2個上の姉と企画し、地元名古屋で祝ってきました。

普段ベトナムにいるので、これを逃したらもう機会はない!
という気持ちで祝わせて頂きました。

P3170097_convert_20130517220127.jpg
*じいちゃんとばあちゃん


結果として、心から今回の会を企画して良かったと感じています。
普段、おやじとじいちゃんは滅茶苦茶仲が悪いんです。


でも、さすがにこの時ばかりは「お互い、今日くらいは今までのことは忘れよう」
と昔話に華を咲かせていました。

そんな親父たちの会話を聞いていて、
家族のことって本当に何も知らないことだらけなんだと思いました。

じいちゃんは大正生まれの人間です。
そのため、第二次世界大戦はもちろん経験しています。

これは米寿祝いの場で初めて知ったことですが、
じいちゃんは、神風特攻隊の隊員であるだけれはなく、回天という
人間魚雷の乗組員であったこと。

そして、台湾で終戦を迎え、生き残ってしまった後悔。
その後、生き残ってしまった者として日本を何とかしたいという想いで会社を設立したこと。
親父は、そんなじいちゃんの姿を見て「会社を継ごう」と思ったこと。などを話してくれました。

二人の間のわだかまりが少しずつ溶けていくようでした。

会わせて、親父に対しても僕は何もわかっていませんでした。

仕事を顧みなかった親父。
小さい頃は、どうしても、母親を擁護してしまっていました。

「この仕事人間が!」と言って殴り合ってしまったこともある。
なんという愚息っぷり。

そんな親父も実は家族想いだったんだと思うことができました。

親父が大学生のとき、大腿骨を骨折したことがあるらしいのだが、
そのとき、ひいばあちゃんが看病してくれたことを思い出して思わず泣いていた。

「いいばあちゃんだった。もっと大事にしてあげれ良かった」と。


じいちゃんがどんな想いで起業したのか、そして会社を経営してきたのか。
そして親父がどんな想いでそれを引継ぎ、今まで働いてきたのか。

全く知らなかった。


こうしたことを知れて、また僕は足元のことを一歩知ったように思う。
そして家族は大事にしていきたいと強く思った。

P3170103_convert_20130517221552.jpg
*囲碁にいそしむばあちゃんとじいちゃん


こんな、当たり前で、大切なことを思い出させてくれたのは
ベトナム人のお陰だ。


ベトナム人と接していると、頻繁に聞かれることがある。
「家族を思い出しますか」
「家族がいなくてさびしくないですか」(←若干大きなお世話だが、、、)

聞いてくるだけあって、彼らは家族を本当に大切にしている。
家族自慢はするし、基本的には一緒に過ごすことを何より大切にした
生活をしている。

最初は「いや、日本人はね。家族を大切にしていないわけではないんだよ。
家族だからこそ、常に一緒にいなくても大丈夫という気持ちで接しているんだよ」
と言っていた。

今もその気持ちに大きく変わりはない。
けれども、どんなに気持ちは繋がっていると思っていても、
年に数回ぐらいは、直接顔を合わせる機会は作った方がいいなと感じています。
特に還暦や米寿のような家族の節目には。

小さいころは、当たり前のように傍にいてくれた
親、祖父母、兄弟、姉妹。
年が経つにつれ、そんな当たり前だった家族と過ごす時間は
どんどん少なくなっていく。

僕の場合、18歳のとき、東京に出てきた。
そして25歳のときベトナムに出てきた。現在28歳。
気が付けば、実家から出て10年の月日が経っていた。

18歳のあの時、少なくとも家族のことなんてわかっている
つもりでいた。

でも、今回の還暦、米寿祝いを経て、僕は何も知らない
大馬鹿野郎だとまたしても気づかされました。

精神的な距離が違いことは大切だけれども、
物理的な距離が違いことでしか分からないこともある。

家族のことはなんとなくこっぱずかしくて、
物理的な距離を置いてしまいがちです。

それでも、その恥ずかしさから一歩を踏み出すと、
改めて家族のことをいとおしく感じる機会になるかもしれません。

ベトナム人に改めて感謝感謝。
これからも足元は大切にしていこう。

何だかしんみりしてしまったので、更にしんみりソングで終えたいと思います。


それではまた。

川村
  


Posted by やっつ at 22:25Comments(0)ベトナム仕事奮闘記

2013/02/06

‘脱’ニッポン?について

日本とベトナムを行ったり来たりしながら、早5か月。

仕事柄、ビジネス雑誌や書籍を読む機会が多いので、
毎週つらつらと目を通しております。

■‘脱’ニッポン?
IMGP7648.jpg
*ハノイからほど近い村

その中で、最近良く出てくるキーワードが
「‘脱’ニッポン」についての特集記事である。

例えば、、、

1)今週の東洋経済の特集は「増える海外移住『脱ニッポン』という選択」です。

2)朝日新聞デジタルでは「脱ニッポン」という特集が組まれたりしています。
  

僕自身、ベトナムで働くベトナム人と出逢う中で、
「普通に日本で仕事をしていたら、仕事なくなるわ。。。」
と感じ続けてきた。
*参考:「日本人の仕事がなくなる日

・人口減少
・少子高齢化
・若者の労働意欲の減退

などなど、こういうニュースを聞けば聞くほど、
「脱」ニッポンしたくなる気持ちはとっても分かります。

しかし、こうした記事を見るたびに思うことがあります。

「ニッポンって‘脱’しないといけない国なのか?」と。

■ベトナム人留学生が日本の学生との交流で気づいたこと
RIMG0690.jpg
*ベトナム将棋にいそしむ若者たち

ここで一つ紹介したい文章があります。

ベトナム人留学生である僕の元学生が、日本で行われた
日本語スピーチコンテストでこんなことを書いていました。

「ベトナムでは日本人の若者との出会いが沢山ありました。

そして、その日本の学生たちがアルバイトをしたお金で
ベトナムに来ていることを知り、驚きました。

ベトナムでのアルバイトの時給はとても安くて、
それで海外旅行ほどにはなりません。

ベトナムでは、例えば、喫茶店でのアルバイトは時給は60円と、
とても安くて、殆どの親は自分の子供にアルバイトをさせたがりません。
アルバイトをして、海外へ行ける日本、
ベトナムはいつそんな国になれるかなと思いました。


いつでも海外に行こうと思ったら学生でも行けてしまう国、日本。
新卒で20万円がもらえてしまう国、日本。
人も優しくて、思いやりがある人たちに溢れた、日本。

僕は日本に戻るたびに、日本の良い所を発見するようになっています。
だから、このような報道にはちょっとした寂しさを感じます。

■「チェンジメーカー留学inベトナム」に込めた考え
IMG_1576.jpg
*昼寝するワンコ


そんな経緯から、
「海外を見ることで、翻って自分たちの国の良い点が見れるような
プログラムが出来ないか」と思い作ってきたツアーが
チェンジメーカー留学inベトナム」です。

第4期の様子

計4回開催し、計60名の日本人、ベトナム人大学生に参加して頂きました。
1週間という短い期間ですが、一週間をお互い共にする企画なので、
関係はとても深くなります。

ベトナム人大学生から見た日本、日本人。
ベトナム国内で働く日本人から見た、日本、日本人。
日本人としてベトナムで実際に働く経験を通じて見た、日本、日本人。

こうした視点の中から、日本に帰ったとき、
日本にある「良いもの」を発見し、身の回りにより良い変化を
生み出す人になってほしいという気持ちを込めています。
*僕自身もそういう人間にならないといけませんが汗。

社会起業とか、NPOとか、NGOとか、
そういう言葉にまとめなくても、誰もが持っている
「良いことがしたい」という気持ち。

その気持ちを、形にして、行動していける
人を増やしたい。

日本にいる間に説明会を開催します。
2月6日(水)と9日(土)13時~@原宿にて開催します。

お時間ある方も、単純にベトナムについて話をしてみたい
という方もぜひお越しください。


【申込みは以下まで】
http://ryugaku.myedu.jp/program/cm/viet1303.html


「最期は宣伝かい!」と思われた方、その通りです!(開き直り)

宣伝兼、最近思うことをつらつらと書いてみました。
今日は以上です。

ここまで読んで頂く有難う御座いました!


川村  


Posted by やっつ at 19:42Comments(0)ベトナム仕事奮闘記

2013/01/27

「日本にいる外国人を支援する」唐津周平さん

唐津周平。当ブログでも度々登場している男

ベトナム第3の都市ダナンで働いていた若造である。(といってももう27歳だが)



そんな彼が23歳から働き続けていたダナンを離れ、2013年1月より、気持ちを新たに
日本で活動をすることになった。
所属していた会社も退職し、これから単身、日本で仕事をつくることになる。

「日本で無職になり、更に無職になって帰ってくる」

というチャレンジングな決断をした彼を人は笑うかもしれない。

でも、僕は間近で彼と活動をしてきた人間として、心から彼のこれからを
応援したい。願わくば日本でも一緒に何か出来ないかと思っている。

だから、改めて彼への感謝の気持ちを伝えると共に、彼のこれからの活動を紹介したい。

■唐津さんが日本でやりたいこととは?
399041_10200446537429492_1965807312_n.jpg
(日本で開催された「ベトナム×スリランカ×日本」パーティー中の一枚)

唐津さんは現在、「日本に住んでいる外国人の人たちの支援」
を仕事にするべく活動中だ。
具体的な仕事の形はこれから見つけていく予定である。

彼自身、約3年間、ベトナムダナンで「外国人」として活動をしてきた。
最初は友達ゼロ、語学力ゼロ、実力ゼロの状況。

しかしそんな中でも、心あるベトナム人の皆さん、そして「日本人」という先人たちの
資産のお陰で、生きていくことが出来た。

特に、彼と付き合って頂いていた日本語を勉強しているベトナム人の方達には
感謝しても仕切れないほどお世話になっていた。

彼ら、彼女たちが居てくれたからこそ、唐津さんはベトナムを好きになることが
出来たんだと思う。

しかし、翻って、唐津さん自身が日本人として日本に住んでいたとき、
日本に住む外国人の人たちにどれだけ関心を持っていただろうか。


彼曰く「大学のゼミに居た外国人留学生はほぼ無視していました」
という有様。
というか、いじめていたとかではなく、「関心を持っていなかった」という言葉が正しいだろう。

これには僕自身ハッとさせられた。
なぜなら全く同じことが自分自身にも言えたから。

僕の母校である早稲田大学は、国内でも有数の留学生数を誇る大学(らしい)。
しかし、大学4年間で、留学生の友達は一人もいない。

この話題についてお互い話すと「俺たちは愚か者検定1級だな」という話で落ち着きます。


「海外でも活躍できる日本人の育成」が騒がれて久しい。

日本市場が縮小していく中で、これから拡大が見込めるアジア市場で
如何に活躍出来る人を育てるかはこれからの日本企業にとって大きなテーマである。

「外へ外へ!」という気持ちは確かにわかる。
一人でも多くの日本人が早い段階から日本以外の国で働く経験を積むことは
本人にとって掛け替えのない経験になる。これは実体験からも思うことだ。

でも、忘れられがちなことが「日本にいる外国人」のことだ。

アジアの中では日本はまだまだ経済大国のひとつである。
だから、多くの優秀な外国人の方達が日本を訪れてくれている。

例えば、現在日本にいる外国人留学生数は約13万人と言われている。
その中で約4000人がベトナム人留学生だ。

折角、日本に関心を持ってきてくれている留学生の皆さん。
お互いが密に関わり合いを持つことで、新たな気づきが
生まれることは間違いないだろう。

しかし、そんな留学生の人たちに一体日本の大学生はどれだけ
関心を持っているのだろう。少なくとも僕は全く持っていなかった。
何てもったいないことをしていたんだろうと痛感する。

余談だが、僕は今年、久しぶりに実家のある名古屋で正月を過ごした。
高校時代の友達と飲みに行くべく、地下鉄を乗っていたときのこと。

車内にて、何やら聞き覚えのある言語が。。。ベトナム語だ!
何とたまたま隣に座った方がベトナム人留学生だったのだ。

ためらうことなく、ベトナム語で話かけると「!!!!!」と
先方も無茶苦茶驚いていました。

聞くところによると、なんとフエ出身の方であった。
日本には3年前に留学に来て、現在は大学生であるとのこと。
しばし、フエ弁での歓談を楽しんだ後、携帯番号を交換し、
その後は「hen gap lai(またね)!」といって別れた。

ほどなくしてメールを頂いた。するとこんなことが書かれていた。

「今日はありがとうございました。まさか日本でベトナム語で会話できるとは
思ってもいませんでした。

日本で、日本人とベトナム語で会話できることが
こんなにも嬉しいことだとは思いませんでした。
本当に有難う御座いました。これからも宜しくお願いします」
と。

このメールを頂いたとき、素直に嬉しかった。
と同時に、彼のこれまでの苦労が行間から読み取ることも出来た。
彼の周りにはベトナムに関心を持っている人は少ないのだろう。
なぜ彼が日本に留学しているのかすら関心を持っていない人も多いんじゃないか。

何か良いか悪いかではなく、
僕自身がそんな学生だったので、何だか「本当に申し訳ありません!」
という気持ちになってしまった。

■唐津さんを通じて見る「テーマを持って生きる面白さ」

そろそろ筆をおきますが、再度に一言。

唐津さんと接していて思うことが
「テーマを持って生きること」は人生をより楽しくする
ということだ。


「自分が何をやりたいのか」
「自分はこの仕事に向いているのだろうか」

こう思い悩む人は多いと思う。
何を隠そう自分自身も日々葛藤中だ。


唐津さんの場合には、幸いにも人生を掛けて探究していきたい
テーマを見つけることが出来た。

沢山の選択肢の中から一つに絞り込むことには
勇気が必要だ。

彼の場合は、自分自身の体験が後押しとなり、
ゼロから、「日本にいる外国人の支援」をしたいと
思うようになった。

テーマを見つけることは本当に難しい。

自分自身が「挑戦と克服」を繰り返していかなければ
人生を掛けたテーマは見つからない。

逆に、「テーマ」さえ持ち、誠実に活動していれば
共鳴しあう仲間はSNSを通じて繋がりやすくなっている。

23歳リストラという追い込まれた状況からベトナムに行くという
決断を下したこと。
彼の後には僕を始め沢山の日本の若者が後に続いた。

さらに、人生を掛けて追い求めたいテーマを見つけ、
裸一貫で日本で活動をしようと決断している。

自分自身に起こってしまったことは真摯に受け止める。
それを時にはネタにして、人を楽しませるユーモアを持っていること。
一方、譲れないところは譲らず、自身のテーマを追い続ける。

そんな面白さと強さを持った唐津さんにはこれから沢山の
人の輪が出来るんだろうと僕は確信している。

中国の諺には
「飲水不忘挖井人(水を飲むときには井戸を掘った人を忘れない)」
という諺がある。

唐津さんはまさに井戸を掘った人。
僕はそんな彼にこれからも感謝をし続けるだろう。


最期に、、、
そんな唐津さんがベトナムと日本で活動出来ているのは
一重に彼を支えてくださる皆様のお陰です。
僕からも深く御礼を申し上げます。


七転八倒、抱腹絶倒、試行錯誤を続ける唐津さんを
これからもどうかよろしくお願い致します。

唐津さんのこれからに幸あれ!

川村@HCMより  


Posted by やっつ at 16:35Comments(0)海外で働く人

2013/01/26

日本に住むベトナム人留学生

お久しぶりです!川村です。
実は昨年10月から今年2月まで日本に一時帰国中です。

2年半振りの日本での長期滞在&仕事。
自分が如何に日本流の仕事が出来ていなかったかを痛感中です。

とはいえ、こうして行ったり来たりしながら仕事させてもらえる機会
を頂いているので、地道にかつ着々と仕事をして参ります。

さて、折角の日本滞在なので、「日本にあるベトナムを見よう!」
ということで、週末はあちらこちらに行ってました。

Thuy&Hugo@茨城
(茨城キリスト教大学に留学中の生徒たちとの一枚。
真ん中のおデブさんは気にしないでください)

最初は茨城キリスト教大学へ。
フエではとても仲良くしてくれたThuyさんとHugoさんに会うべく、常磐線に乗ってトコトコ行って参りました。


正直、最初は「何かしてあげられることはないかな」という態度で彼女たちのところに行きました。
日本に来てまだ半年。何もかもが初めの土地での不安もあるんじゃないかと。
僕がフエに行った当初はとても不安だった。だけど、友達が出来て、色々と構ってくれることで
やがてその土地が好きになっていった。

自分がされて嬉しかったことを彼女たちにもしたい。いわば
「何か助けてあげよう!」という気持ちで向かいました。


Hugo.jpg
(茨城で開催された日本語スピーチコンテストの様子。なんと1位になったとのこと。)


電車に揺られること、約3時間。大甕(おおみか)駅に到着。
そこにでThuyさんが待っていてくれました。

28歳のおっさんが突然訪ねたにも関わらず、とても喜んでくれた。
何て優しい子なんやと自分も泣きそうになりました。

その後、彼女の学校に行ったり、ごはんを食べながら
良い意味で期待を大いに裏切ってくれました。

20121208_214302_convert_20130126161311 (2)
(ファミレスに行ったときの写真。色々奢らされました)


外国人として違う国に住むのは想像以上に大変なことです。
でも、彼女たちの場合は、心ある日本人と大学の皆さん、そして
同じ留学生の皆さんと協力し合いながら、とても逞しく生きていました。

日本語だってとてもうまくなっていた。
日本食だってとても美味しいものを作れるようになっていた。
友達も沢山出来ていた。

日本に来たばかりの頃は苦労したことはあっただろうし、
今でもあるのだと思います。

でも、それらを一つひとつ乗り越えて、逞しく学んでいる姿に
驚きました。

「川村さんは今、きちんと生きていますか?」

と彼女たちの背中から問われたように思います。

「何か助けになれることはあるかな」
と思い、訪ねたにも関わらず、逆にこちらが
「しっかりやれよ!」と叱咤激励を頂いてしまった。

はい、これからはもっと頑張りますよ!!!

ということで、初めてのベトナム人留学生訪問記となりましたが、
いかがでしたでしょうか。

彼女たちの逞しさ+彼女たちを支える日本人の方達の姿
を目の当たりにして、改めて「留学」は本人にとっても、周りにとっても
意義のある活動なんだと実感しました。


2011年度の調査によると、日本へ留学しているベトナム人の総数は
約4000人とのこと。しかも年々増えてきている。

「日本→ベトナム」という流れだけではなく、
「ベトナム→日本」という流れも加速していくに違いない。

その流れの中で、一日本人である自分は何が出来るのか。
また両国の関係、日本とASEAN諸国の関係、もっと視野を広げ
どんな社会にしていきたいのか。

こうしたことはベトナムにいくまで考えたこともなかったな。
改めてベトナム、ベトナム人の皆さまには感謝しています。

これからもどうかよろしく!

川村
  
Tag:留学


Posted by やっつ at 16:38Comments(0)フエの日常

2012/10/29

僕は一円も稼いだことがない

■初任給は400円@ベトナム

「10万ドン(*)=約400円」。ベトナムに行ってから初めて得たお金である。
当時、自分がベトナム人の方たちに
貢献出来ることは「日本語を教えること」しかなかった。

日本語が仕事になると気づき、先生にアピールをして
学校に何とか入れてもらった。その始めに頂いた給料が400円だった。

これは日給ではない。月給だ。
絶対額から言えば、笑っちゃうくらいの金額である。

でも、僕の中では、人生で初めて自分で考え、行動して、稼いだお金。
この400円は僕の中で、初めて稼いだと実感を持てるお金だった。

*「ドン」とはベトナムの通貨単位のこと

■「大学を出る」ということ

400円の給料を頂いた時、僕は25歳だった。
思えば、そのときまで「自分で稼いだ」経験が
まったく無かったことに気づかされた。

もちろん学生時代にアルバイトでお金を得ていたことはある。
しかし、それは既に出来たレールの上に乗っかることで得ていたお金である。
0から自分で考え、動いて稼いだことは25年間も生きてきて一度もなかった。

日本の友人からは「大学を出たのに、月給400円かよ」と言われた。
でも、僕からすると「大学を出てしまったから、月給400円なんだよ」と思う。

「大学を出る」ということはある意味で
「今まで一番リスクを取って来なかった生き方」
と言える。

家では親が何でも決めてくれた。学校では先生が決めてくれた。
そして会社に入れば上司が決めてくれる。

つまり、他人が良しとすることに身を委ね、他人の期待に応えようと
することで、リスクを避け続けてきたのだ。

その結果、僕は「25年間、一円も稼いだことがない自分」
が出来上がってしまっていた。

■大卒者が弱者になる時代

今は、これまでの仕組みや制度がどんどん機能不全を起こしている時代だ。
そんな時、大卒者(特に何もしてこなかった文系人間)はどんどん弱者になっていく。

日本人の仕事がなくなる日』でも記載したが、
これから、替えが効く仕事は、コストが安い国にどんどん流れていく。

今まで、大卒者の雇用の受け皿であった企業も日本人を雇う
理由がなくなってきている。

なぜなら、企業の大きな目的の一つは継続することであるからだ。
継続していくにはコストメリットを追求することは当然の行為である。
間違っても日本の雇用を守ることが目的ではない。

更に、事業サイクルもどんどん短くなってきているため、
企業も人が育つ前に、事業が年を取ってしまう。

よって、専門性も何も磨いてこなかった大卒者は
遅かれ早かれ仕事を得ることは難しくなってくるだろう。

■「仕事をつくる」人の強さ

そんな時代において、強い人は誰か。
私は「仕事をつくる」人だと思う。

ベトナムで活躍している起業家の中には、職人が多い。
美容師、料理人、整体師、ネイリスト、など所謂
手に職がある人たちだ。

こういった人たちに出会う度に、尊敬してしまうし、
嫉妬してしまう。

中学、高校の頃、卒業してすぐに働く道を選んだ友人が
何人かいる。

ある人は大工に、ある人は美容師に、ある人は料理人になっていった。
正直な話、当時大学に通っていた僕は彼ら・彼女を心のどこかで馬鹿にしていたと思う。
でも、今思うと馬鹿野郎だったのは他でもない自分だったんだ。

彼ら・彼女たちは早いうちからリスクを取り、
自分たちがやりたいと思える仕事、打ち込める仕事を求め、
果敢に社会に飛び込んでいったのだ。

その道を選んだ友人たちは、今とても活躍している人も多い。
自分の腕一つで家族を持ち、養っている姿は惚れ惚れしてしまう。


■「仕事をつくる人」をつくる

ここでは「手に職がない人間はオワタ\(^^)/」
ということを言いたいのではない。

今、次々と自分の仕事をつくる人たちが増えてきている。
しかも、普段生活をする中で感じたちょっとした違和感や
問題意識、そして「こうなったらいいんじゃないかな」という
ような「自分の想い」から形になった仕事だ・

例えば、病児保育で有名なフローレンスの駒崎さんの原体験、
つまり、「母親の友人が、子供が病気になり会社を休んだらクビに
なったという話を聞き、『それはおかしいんじゃないか』という想いから始まったものだ。

また、『ナリワイ=やればやるほど仲間ができて健康になる仕事』づくりを
実践しているの伊藤さんは既に6つほど仕事を作っている。
すべて身の周りでおかしいと思ったことや、こうありたい!と思ったことを
仕事にしている。

ベトナムでも、「もっとベトナムを楽しめる情報が必要だ!」ということで
べとまる』というサイトを作り、ここから具体的な仕事をつくろうとしている友人もいる。

規模の大小はあれど、こうした人たちとお話をしていると、
全員が全員、イキイキと毎日を過ごしている。

彼ら・彼女たちと話をしていて、
「仕事をつくる」ことは、今まで人任せにしてきた人生を
自分自身に取り戻すことそのものだと感じる。

そして「仕事をつくる」人が増えていくと、周囲にとても良いことが起こる。
それは新たに「仕事をつくりたい!」という人が現れ、
結果、「仕事をつくる人」をつくる場が生まれることだ。

ゼロから仕事をつくる場合、得てして苦労することが多い。
「ああやっておけば良かった」とか「これはしてはいけない」
など身をもって経験している場合が多い。

だから、身の周りで仕事をつくろうとしている人が現れると、
自分の経験が役に立つし、自然と助けたくなるもの。

こうした連鎖が、自分のことは自分で助けようとする
「自助」な人を生み出し、更にはそういった人たちが育つ
場を生み出すと確信をしている。

こうした動きはまだまだ始まったばかり。
日本には「人」しか資源がないと言われているが、
まだまだ開発されていないと強烈に感じている。

経済が曲がり角な日本だからこそ、人の可能性を挽き出す
ことこそが、今の日本には必要なのではないか。

僕自身、いつまでも「仕事をつくる」当事者でありたい。
そして「仕事をつくる人をつくる」場を生み続けていきたいと思っている。  


Posted by やっつ at 18:18Comments(0)ベトナム仕事奮闘記

2012/10/20

日経新聞「シニアが拓く」に掲載頂きました

記事_convert_20121020142120

「シニアが拓く」
http://www.nikkei.com/article/DGKDZO47422660Z11C12A0MM8000/

10月19日(金)の話ですが、日経新聞1面の「シニアが拓く」という記事内に、
私たちの活動について掲載して頂きました。

2年近くベトナムで仕事をさせてもらっている元旭硝子工場長の松本さんと
不詳私の取り組みを紹介して頂きました。
自分たちの活動がこうして世に紹介して頂けるのは素直に嬉しいです。

でも、同時に、多くの方たちがベトナムで助けてくれた
(それこそ、その日食べていくためのご飯とか)からだなと感じます。

そもそも取材の依頼を頂いたのは、
ベトナムでお世話になっている猪谷さんが運営されている
「ベトニャットブログ(http://yattsu20.vietnhat.tv/e11956.html)」からでした。

そしてブログ記事を書くための原体験となったのは、松本さんを始め、
多くのシニアの方たちが交流してくださったからです。

日本にいた頃は60代の方たちがどんな思いで働いてきたのか、
今何を考えているのかについて考えたこともなかったし、関心もなかった。愚か者検定1級ですね。

ベトナムで働かせてもらってから2年半が経ちました。
人に誇れるスキルや経験は何か身に付いたかと言われると正直うんとは
言い切れないです。

ただ、世代も国境も超えて、沢山の方たちと知り合い、
語らうことが出来たことが出来たことは大きな財産だと心から感じています。

気がつけば28歳。もはや若造なんていってられない年齢。そして日本の友人周りは結婚ラッシュ。

様々な思い交錯しますが笑、
周りは恵まれすぎていることを改めて感じさせてもらいました。

これからもどうかよろしくお願い致します。

川村
  


Posted by やっつ at 14:26Comments(1)ベトナム仕事奮闘記

2012/09/17

一人で始めて旗を立てる

IMG_0246_convert_20120917234009.jpg

第4期チェンジメーカー留学inベトナムが終了した。
今回は合計9名の日本の大学生の参加、
そして9名のベトナム人大学生に協力してもらいながら実施することが出来た。


さて、この場ではチェンジメーカー留学inベトナムも4期目を迎え
これまで感じてきたことを振り返りながら感想を書いていきたい。

○始まりは出会いから

第一回チェンジメーカー留学inベトナムは2010年3月に始まった。
それから約2年半をかけて、合計30名もの学生の方達に参加をして頂いた。

参加者の学生の皆さんとは今でも日本に帰ると気軽に会ってくれるし、
お客さんというよりは友達感覚で付き合えていて素直にそれが嬉しい。

そしてずっと手伝ってくれているフエ外国語大学の学生の皆さんも
「もう一度参加したい!」と言ってくれていてそれが嬉しくて堪らない。

振り返ると、2010年夏頃に、当日twitterしかやれることがなかった自分。
それでも出来ることをしようと思い、日々ツイートしていたら、
偶然出会った方が毎日エデュケーションの石渡さんだった。

今思うと、あの時、あの瞬間に偶然、石渡さんとの出会いが生まれたこと。
そして本当に沢山の人たちとの協力のもとで、4期目を終えることが出来た。  

今、あの頃と比べ物にならない程、縁が広がった。
このお陰で僕はベトナムで生きていくことがとても楽しくなった。

「ベトナム」というキーワードで、日本に帰っても多くの方達と出会い、語らうことが出来る。
チェンジメーカー以外にも様々な仕事をさせてもらっているが、
僕にとってチェンジメーカー留学はベトナム生活の原点であり、
これからも大切にしていきたい仕事の一つである。


○一人で始めること

IMG_0212_convert_20120917235159.jpg





話は変わるが、一人ってとてもつらいものだ。
ベトナムに来させてもらった当初は友達は一人もいなかった。
言葉も分からなかった。

どこにどんな食べ物があるのか、何もかもが分からないことだらけで、とても不安だった。
いつも頭の中は「どうして僕はフエにいるんだろう」だった。

自分から決断しておきながら、しかもベトナムに来させてもらいながら、上から目線が取れなかった。
完全に愚か者である。そんな中でも「来たからには何かせねば!」と日々必至に活動していた。

そんな折、知り合いの先生から大学での仕事を紹介してもらって、
フエ外国語大学初の現地採用での就職。

それがきっかけとなって、学生たちと出会うことが出来た。

それからは、日本のことはとりあえず脇に置いておいて、
ひたすら彼ら・彼女たちと関係を作っていった。

それから石渡さんとも出会い、生徒たちに協力してもらいながら
チェンジメーカーがつくられていった。 

今振り返ってみても、まさかこんな関係がベトナムの中でも、
日本の中でも作れるとは想像すら出来なかった。

日々「今」を生き続けていった結果としてこうしたご縁が生まれたという
言葉が今ならしっくりくる。
つまり、最初は一人から始まるということ。一人からでも出来ることがあるということなんだ。


○旗を持ち、立てること。たとえボロボロでも、
他人が見たら笑っちゃう旗でも、自分が信じれる旗を。

IMG_0339_convert_20120917234709.jpg




ベトナムで生活をしてから、有難いことに自分を訪ねてくれる方達がいる。
企業でバリバリ働いているビジネスマンから起業家、そして大学生まで背景は様々。

その中でも
「日本は終わっている」
「もう日本でやれることはない」
「沈んでいる国で働くよりもベトナムだよね!」
というような会話をするときがしばしばあった。

来たばかりの時は、「確かにそうかもなー」と思っていたのだが、
今は「日本は多くの資源があるなんて恵まれた国なんだろう」と思わざるを得ない。

僕はたまたまベトナムと縁が出来て、
そのまま飛び込んでみたら、次々とドアが開かれていった。

言うならば「ベトナムに活かされた」んだと思う。
たとえば、日本に行ったとき「ベトナム」というキーワードを持つだけで
たっくさんのやれること、やりたいことがある。

 ・母校に行ってベトナム人留学生と友達になること
 ・ベトナムで働く、生活することに関心のある日本人と友達になること
 ・日本で働く外国人の方達と出会い、外から見た日本の感想を聞くこと

などなど、個人で出来ることだけでも、思いつくことが沢山ある。
つまり何が言いたいかというと、
「自分は何に興味関心があるのか」=「旗を立てる」ことで、
人生が楽しくて、豊かになっていくということだ。

ベトナムに来させてもらってから合計100人以上の日本の学生、
企業人と出会うことが出来た。

その中で一番聞かれるのが
「ベトナムで働く上でスキルは必要ですか?自分は今、スキルがないので、
まずは日本で働いてからにしようかと思っています」という質問だ。

これには答えがないので、何ともいえない.

ただ、世の中にスキルがある人は自分が想像している以上にたっくさんいらっしゃる。
論理的思考能力・プレゼンテーション力・ファシリテーション力、、、
などなど本当にすごいスキルを持っている人たちが多い。
でも、みんなそのスキルの使い道を探していた。

必要だと思ったスキルが、気が付いたら、誰に、何のために役立つのか。
そこがスッポリ抜け落ちてしまっている。

一方でスキルも経験もないけれども、旗を立て続けている人がいる。
時には「そんな旗を立てるのやめなよ」「無駄だよ」「わけの分からない旗立てるなよ」
など言われることもある。

けれども、立て続けている人たちがいる。
自分の原体験から「これがやりたいんだ」と信じ、
一人でも立て続けている人がいる。

こういった人たちにはやがて、一人、二人と人が集まり、
やがて大きな輪となっていく。

僕が出来ているという訳ではなく、僕の先輩や同僚、
後輩でも僅かではあるがそういった人たちがいる。微力だが、応援させてもらっている。

今は本当に人とつながりやすくなった時代だと思う。
世界中どこに行っても、WIFIさえあればどこでも誰とでも繋がれる。

だからこそ「お前は何者なんだ」という旗を立てることが益々大切になってくる。
これがないと繋がれない。

「それが見つかったら苦労しないよ」と思われるかもしれない。
僕自身もまだまだ探している最中だし、まだまだ模索中である。

でも、日本人として生まれてよかったと思えるのは、
日本だけではなく世界中どこにでも行ける資金が稼げる環境とパスポートがあることだ。

一昔前だったら「甘いことを言うな」と言って、一蹴されることでも、今なら違う。
立場も経験、国境も越えて「自分の想い」一つで繋がれることが可能な時代。

だからこそ、少しでも興味のあること。
「これってお金にならないけど興味あるんです!」と思うことはやってみて欲しい。

無理に仕事にする必要もないし、それだけで生きていこうとしなくてもいい。
人生は多様性があった方が面白い。

最初は一人かもしれない。誰にも評価されないかもしれない。
それでも、必ずあなたを見てくれている人はいる。
人は思った以上に自分のことは考えてくれていないが、
意外と見てくれています。それが本当の想いであれば。

だからこそ、多くの可能性を秘めた大学生の皆さんには、
「これや!」と思える対象が見るかるようなヒントという種をベトナムで巻きたいと思っている訳です。

これが僕のやりたいことの一つでもあります。これからもちょっとずつ種を捲いていきます。

長くなりましたが以上です!有難う御座いました!これからもよろしくです!

川村  


Posted by やっつ at 23:56Comments(0)ベトナム仕事奮闘記

2012/08/19

インターンシップ終了!

第3期グローバルチャレンジプログラムも半分を過ぎました。
今週はガッツリとインターンシップに取り組んでもらった週となりました。

合計26名の参加者の方達を全11社の企業の方達に受け入れて頂き、
5日間のインターンシップを行いました。

昨日で大半のインターンシップが終了しましたが、
受入先企業の方達が深くインターンシップ生に関わってくださったお陰で、
具体的な成果も出ました。

・新規営業先で顧客獲得
・社内を巻き込み、新規サービスを立ち上げ
ベトナムのIT普及状況の調査レポート

「そこまで出来るのか!!!」と思わせられる成果も生まれました。

こうなるともはや学生であるとかは余り関係がなくて、
誰にでも出来ることってあるんだということ。

そしてそれを成し遂げるには、いつだって「何とかしたい!」
という「情熱」なんじゃないかと感じずにはいられなかったです。

IMG_0410_convert_20120819033540.jpg
*最初はまったく英語プレゼンできなかったにも関わらず、最後には
 やり切ったインターン生Fさん

IMG_0422_convert_20120819034344.jpg
*テレアポ中のインターン生YさんとNさん

IMG_0414_convert_20120819035029.jpg
*飲食店の開店に向けMTG中のDさん、Oさん、Mさん

明日からはホーチミンの起業家・日系企業・ベトナム起業・他外資系企業への
視察と講演会Weekとなります。
どんな熱が生まれるかいまから楽しみです!

それではまた!  


Posted by やっつ at 04:00Comments(0)ベトナム仕事奮闘記

2012/08/13

第三期GCP開始!

8月。夏真っ盛りです。
ここホーチミンでも暑い日々が続いています。
そんな中、始まりました第3期「グローバルチャレンジプログラム@ホーチミン」
日本の大学生向けに「海外で働くこと」をがっつりと学ぶプログラムとなっています。

先週8月9日(木)から始まり、30日(木)まで実施中です。

538985_410413442348035_1445368288_n.jpg
*ホームステイに行く様子

580748_505229799504079_1541506887_n.jpg
*ご講演頂いたIさん。
「ベトナムに興味あるのに、どうしてベトナム人の友達を日本で作ってこなかったの?」
という問いかけに一同ハッとさせられる一幕も。

実は昨年3月にも同様のプログラムを実施したのですが、
かなりの熱気に包まれるこのプログラム。

日本では考えられないくらい活気のある
街の様子。

日本の大学生の方達の「何かを変えたい!」という気持ち。

そして、ホーチミンでご協力頂いてくださっている
起業家・企業家の方達、ベトナム人学生の皆さまの気持ちが

合わさるとこうも人は活気づくのかと、いつも驚かされています。
今回はどんな変化や葛藤が生まれるのか。

これからがとても楽しみです。

プログラムの様子は随時レポート致します!
  


Posted by やっつ at 09:32Comments(0)ベトナム仕事奮闘記

2012/07/13

「中国SNSの専門家」岡俊輔さん

379551_238906156170755_1111755817_n.jpg
*本人プロフィールより拝借。

「来週ベトナム行くので、良かったら会いませんか?」

つい先日、こんなメッセージがFacebookから届いた。
差出人は岡俊輔さん。現在、大学を休学中の4年生。

聞くところによると、現在東南アジアを旅行中とのこと。

何か明確な目的が合ってお会いした訳ではないんですが、
岡さんとのお話がとても面白かったのです。いやほんとに。

久々に時間を忘れて話し込んでしまいました。

岡さんのこれまでの考え方と行動は
これからの就職活動を迎える大学生のみならず、
「個と組織」のより良い関係を考える上でもとっても参考になると思うので、
シェアさせて頂きます。


■中国SNSの専門家!?
392128_294997960546863_1114753699_n.jpg
*講演する岡さん

岡さんは現在、株式会社ソーシャルリクルーティングにてSNSを活用した採用支援を行っている。
採用には中国北京担当として、現地に駐在して働く予定とのこと。

「新卒でいきなり中国駐在!なんとまあ優秀な方なのでしょうか。。。」
と思われた方はちょっと待っていただきたい。

岡さんは、何も普通にエントリーシートを書いて、面接を受けて、、、のような
採用プロセスを経た訳ではない。

既存の就職活動にどうしても拭いきれない違和感を感じて、
いわゆる就活は一度辞めている。

それが2011年3月。丁度、あの震災後のことだった。
当時の心境が書かれたブログ記事

その後、なぜか単身、中国に飛び込むという180度のバック転をしている。
現地で、試行錯誤を経ながら、「中国のSNSの専門家になろう!」と決意し、
ブログにて情報発信を続けていった。

そして1年後の現在。
以下が岡さんの実績である。

1:『中国ソーシャルメディア一網打尽』への連載(講談社現在ビジネス)
2:『中国ビジネスヘッドライン』への連載
3:企業人相手の各種勉強会・講演
4:日系企業6社からの内定

・・・無茶苦茶すごい事になってるじゃないですか!!!

この話を聞いたとき、自分事のように嬉しかった。
きっと中国に行ったばかりの時は、周りからはやんややんや言われたのではないかと思うんです。
僕もそうでした。

日々の生活は全部、自分で意思決定をして組み立てていかなければならない。
いわゆる正解と言われるものがない。そしてアドバイスをしてくれる人もいない。

「このまま朽ち果てていくのではないか。。。」
きっとそういう想いに駆られた時もあったのではないでしょうか。

そんな中でも、コツコツと中国人の友人をつくり、
日々、ブログでの情報発信を欠かさず行い続けたこと。

人がとやかく言おうが、自分の決断を信じて行動し続けた結果、
今は、「中国SNSの専門家」として、活躍を続けている岡さん。
まさに自分の行動によって「仕事を創り出した」訳である。

岡さんの行動は「ES→面接」という流れで行われる「ポテンシャル採用」
が主流の就職活動に一石を投じるものになっている。

更に、「『個』と『組織』」のより良いを関係を考える上でも、
個人の可能性をぐっと拓く活動を実践されているのではないかと感じている。

*今に至る迄の変遷が書かれた記事は必読。
 『シューカツに絶望しているあなたへ


■誰もが「自分のプロジェクト」を持てる時代

岡さんは、まさに中国で、自分が興味あることを徹底的に突き詰め、それを
ブログで発信することで、自分の道を創り出しました。

しかも、「自分の興味あること・やりたいこと(=自分のプロジェクト)」
を突き詰めた結果としてそれが「仕事」に結びついている。
これほど楽しいことはないんじゃないかと思う。

迷いながらも自分が良いと思うことを信じ、行動し続けた結果、
今の仕事を得ているプロセスを岡さん自身が一番楽しんでいるだろうし、
これからどこへ行っても生きていけるという自信を育んでいるのではないかと思う。

これからの時代、「自分のプロジェクト」を持つことがとても大切だと感じている。
つまり「あなたは何をしている人で、どんな価値を提供できるの?」
ということを、年齢問わず持つ必要があるということだ。

今も昔も、日本の新卒採用のコンセプトは「ポテンシャル採用」である。
特に何が出来る訳でなくとも、「エントリーシート→面接」を経て
「こいつは活躍しそうだ」と思ってもらえれば採用へと至る。

これは、企業に体力があり、社員を教育してくれる余裕があるのであれば
この形はとてもうまく回っていくだろうし、事実これまでは回っていた。

しかし、これからは違う。
大多数の日本企業に社員一人ひとりを育てていく余裕はない。
*事実、僕が新卒で入った会社は育てるどころか、雇用する体力も
 失ってしまっていた。。。

自分で自分を育てていく「自助の精神」が求められてくるはず。

岡さんと接していると、スマイルズの名書『自助論』内にある
「天は自ら助くる人を助く」を思い出さざるを得ない。

これは何も岡さんが特別だったという訳ではないと思っている。

今、誰もが自分の考えていること、やっていることを、やっていきたいことを表現する
ツールが揃っている。

ブログ,facebook,twitter,,,英語や中国語で書けば、それこそ世界30億人くらいに
見てもらえる可能性だってある。

岡さんは自分の気持ちに素直になった結果、
SNSの可能性を信じ、行動し続けたことで、その活動と、中身を評価してる人たちが
必然的に表れ、自らの道を切り拓いた事例と言える。


■新卒一括採用のその先へ~個と組織のより良い関係とは~

岡さんのような「自分プロジェクト」を愚直にやり続けることで、
採用に至るケースはこれから増えてくると思っている。
これは企業と個人の双方にとって、より良い採用につながるものだからだ。

企業側にとっては、「こいつは何をしている人なのか、どんな人とつながっているのか」
がブログを通じて明確に分かる。

つまり「こいつはどんな価値を持っている人間なのか」
が事前に分かるのだ。

こうなると、エントリーシートと面接だけではわからない「ポテンシャル」が分かるし、
何より企業側が特別教育をしなかったとしても、興味あることに勝手にのめり込んでくれる
「自助の精神」を持っている。

会社側にとっては過度な教育はしなくても良いし、
個人にとっては自分がやりたいと思ってきたことを会社が評価をし、
採用に至っているので、お互いにとってより良いマッチングとなる。

*MGさんの記事『個人ブランドを会社がレンタルするという発想』に近いかも。


「自分のプロジェクトって。。。そんな難しいこと出来ないよ」
と思われた方もいらっしゃるかもしれません。

でも、全然大げさなものでなくてもいいと思っている。
動機は「好きだから」「なんとなく興味がある」というものから始まるものだ。
事実岡さんも、ブログを書き始めたもの彼女と別れたところが大きいらしい笑。

自分が興味のあること、何故か分からないけれども心惹かれるものが、
誰にだって一つや二つはあると思う。

それを愚直に行動し続けるだけでいいのだ。
極端な話、ブログをただただ書き続けるだけでもいい。
本当に自分が好きでやっていて、ウソ偽りなく書いているものであれば、
それに興味を持ってくれる人は現れる。

やがて、「自己満足だけでは満足できない」という気持ちが生まれ、「より多くの人に楽しんでもらえるには」
を意識した情報発信にもなっていくだろう。

岡さんの場合はたまたま「中国×SNS」だった。
たまたまこの掛け算で先達がおらず、希少性も相まって注目を浴びたのだと思う。
他にもまだまだ未開拓な分野はそこら中に転がっているはず。

中国、インドのみならず、インドネシア、マレーシア、ベトナム等の新興国も世界経済に
次々と台頭してきている昨今。

発想を日本だけでにとらわれず、世界に目を向ければ、日本人にとっての未開拓分野は
まだまだ存在している。

その時、行動できるかどうかは「ちっぽけなプライドを捨てられるかどうか」
という点に尽きるんじゃないかと。

ここまで話をしておいてあれですが、これからは逆に「自分プロジェクト」
を持っていないと、就職は出来ないのではないかとも思っている。

小手先のエントリーシート対策・面接対策では、見向きもされないかもしれない。

ちなみにベトナムでは新卒一括採用は存在しない。
実力一本勝負の通年採用が普通。
大学の同僚でも実力によって、給料が10倍違うことだってある。

これは何もベトナムが特別なのではなく、世界一般的にはこのような
採用スタイルだ。
日本が長らく特別だったんだな。。。


このように、岡さんとの出会いで確信をしたが、個人が「自分のプロジェクトを持つ」
ことは、個人の自由に生きることをより後押ししてくれるし、これは会社にとっても
良いことになる可能性を秘めている。


僕としてはこれから、こうした流れを体現して示していきたいと思っているし、
岡さんのような方を増やせるような後押しをしていきたい。

「いやーちょっと記事長かったけど、君の言うこと分かるよ。
ちょっと一杯飲みに行く?」お思って頂いた奇特な!?方はぜひ
Facebookにご連絡ください。

川村Facebook

今回は以上です。
ここまで読んで頂き有難う御座いました!

そして岡さん、引き続き応援しております。

川村

  


Posted by やっつ at 01:44Comments(0)ベトナム仕事奮闘記

2012/07/12

家庭教師始めました

IMG_0100.jpg


ホーチミンに来させてもらい早2か月。
途中、日本に帰ったりしていたので、1か月半。

正直、今まで世界の、、、それは言い過ぎかもしれないので
ベトナムの中心はフエだと思っていた。
しかし、それは全く違っていました。

ベトナムの経済の中心は間違いなくホーチミンですね。
本当に無知ですみませんでした!

さて、世の中は知らないことだらけなのですが、
今回、ご縁あり、ホーチミン在住のとある方の娘さん(小学生)の家庭教師を
夜間で教えさせていただけることになりました。

直接お誘い頂いた方は日本人の方です。奥様はベトナム人。
そして娘さんはハーフということになる。

この娘さんがとても元気で、「俺も小学生の頃はこんな元気だったかなー」
ととてもほのぼのした気分にさせてくれる。

ただ、僕と違うのは以下のような点だ。

・ホーチミン生まれのホーチミン育ちであること
・日本語、英語、ベトナム語を使いこなすということ
・彼女の友人が複数の国に渡っているということ

そんな背景を持つ彼女なので、国語を教えているとこんなやり取りがある。

僕:「『なぜならば』は理由を表す接続詞ですね。」
娘さん:「なるほどね。ベトナム語でいうと○○だよね。英語だと△△かな。
     これ良く使うよね。」
僕:「。。。そ、そうだね!じゃ次いこっか!」

というタジタジな状況にしばしば遭遇している。

それはこれから克服するとして、、、何がいいたいかというと、
「今まで経験したことがなかった新しい世界を見させてもらっている」こと
そして「なんだか楽しいよね!」ということだ。


日本生まれ、日本育ち、日本人の両親、先祖も昔から日本人という
「ザ・日本人」な自分。

そんな自分にとって、娘さんが見ている世界は新しくて、聞くもの全てが初体験。
家庭教師とは言っているけれども、正直、自分の方が学ぶことが多い。

彼女は、生まれがホーチミンだし、父親は日本人、母親はベトナム人。
学校はインターナショナル校。物心つくころには、3か国語を話していたという。
そんな彼女も日本の中学受験のために現在、国語と算数の強化月刊とのこと。
僕も昔、中学受験をしていたことがあるので、少しはお役に立てるのかな。

また、全く知らなかったことなんだけれども、現在、日本にある私立高校は
結構、ベトナム人の高校生の留学生の誘致に取り組み始めているとのこと。

日本はどんどん若者が減っていく中、日に日に子供が生まれ増えていく国ベトナム。
私立高校は生徒がいなければ経営成り立たないので
生徒を獲得するために、ベトナムをはじめとした新興国には目を向けることは当然の成り行き。
また学校自体も進出しているケースも結構あるみたい。

ただ、受入側の高校と留学生の間でやはり文化的な問題が発生していて、
中々うまくいくケースが少ないらしい。

この辺りの新しい動きにはとても興味があるので、
別途、詳しく記事を書かせて頂きます。

とにかく、こんな世界があったのんだなーとまたしても自分の視野の狭さを痛感する日々です。
娘さんが夏休み期間中は定期的に教えさせて頂く予定なので、これからが益々楽しみです。

いつもながら、こうした人のご縁は有難いことです。
しっかりとお役に立てるように取り組んでいきます。

川村  


Posted by やっつ at 21:01Comments(0)ベトナム仕事奮闘記

2012/07/05

飛翔する団塊の世代@ベトナム

IMG_0558.jpg
*近所の小学校

ベトナムで働き始め約2年とちょっと。

それまでに沢山のベトナム人、日本人、そしてアジア諸国の皆さん、
欧米圏の方達と知り合うことが出来た。

どの方も結構個性があって、忘れられないのだが、とりわけ驚いた出会いは
日本のシニア層、特に団塊の世代の人たちとの出会いである。

■日本では全く出会うことがなかった団塊の世代の方達
IMG_0563.jpg
*重そう。。。

私は1984年生まれの今年で28歳。
思い返すと、祖父や祖母とは生まれたときから
別々の家で暮らしていた。

いわゆる核家族だ。

その後は順調に(と信じたい)すくすくと育ったが、
思い返すと、世代間を超えた付き合いはほとんどなかったように思う。

普段接する大人は親か先生。
新卒で入った会社も若い会社であったためか、
社長も40代、会社の平均年齢は確か20代だった。

そんな環境で育ったためか、「団塊の世代=60代」の方達と言えば、
新聞やTVなどのメディアの中から流れてくるネガティブな情報しかなかった。

「この人たちは税金食いつぶしているんだなー」
「逃げ切り世代か、、、いいよな逃げ切れて」
「退職したのに居場所がないなんてかわいそうやな」

ところがどっこい。
ベトナムでは、かなりの数の団塊の世代の方達、それも半端じゃなくアクティブな方達
(=今後は『アクティブシニア』と記載します)と出会うことになるとは思ってもいなかったことだ。


■ベトナムで活躍するアクティブシニアとは

IMG_0611.jpg
*フエにある遺跡「カイディン帝廟」


ベトナム生活2年間の間で、様々な背景を持つシニアの方達と出会った。

・某大手商社を定年で勤め上げた後、日本語教師資格を取得、在ベトナム歴10年の方

・某大手メーカーで各国の工場長を歴任した後、退職。その後JICAを経て現在一緒に
 お仕事をさせてもらっている方。

・定年退職後、単身ベトナムに乗り込み、ベトナム語話せないのに事業を起した方。


ベトナムに来させてもらって最初に驚いたことが
ベトナム人の皆さんにとって「日本人?おお、よく来たな。」と好印象で迎えて
くれたこと。

それは、彼ら・彼女たちの生活の身近なところでしっかりと愛されて根付いている
日本製品が存在していることが大きい。
「ホンダ」・「ヤマハ」・「味の素」はその代表格である。


もう少し掘り下げると、つまり、かつて先人の方達が
しっかりとこちらで種を捲いてきてくれたお陰。
その貢献の中で、アクティブシニアの方達の足跡は偉大だなと思う。

例えば、現在僕は、まさに団塊の世代の方とベトナムで仕事をさせてもらっている。
この方は、大手メーカーで長い間工場の品質管理を行って来られた方。
つまり、「Made in Japan」の一翼を担ってきた方達の一人。

しかし、僕のような20代にとっては、「ものづくり大国日本」は過去のもの。、
既に、中学校の社会科の教科書では「産業の空洞化が起こっています。日本の製造業やばいです」
といったことが書かれてきたことを良く覚えている。

そのため、当初は、「なんぼのもんじゃい!」と失礼極まりないことを思っていたりもした。
ただ、実際仕事をさせてもらっていると、そのすごいことすごいこと。

僕からするとなんでもない工場の風景が、その方にとっては何が良くて何が悪いかが
見えてしまうのだ。まさに「見えないものを見る」という職人の世界である。

この技術は、今ベトナムでも本当に求められている。

ベトナムは2020年までの「工業国入り」を目指して、現在積極的に
製造業の誘致を行っている。

こうした現場ではまさに団塊の世代の方達が培ってきたスキルが
求められているし、実際、お金にもなっている。

これはこれといったスキルの無い自分にとってはとても羨ましいことだ。
更に、これからこの方を目指そうとしても、もはやそのスキルを培えるだけの
時間も体力も日本企業には残っていそうにない。

どんどん新興国の若い人材がこうしたアクティブシニアの方達の
スキルを身に着け、日本に追い付け追い越せで日々死ぬもの狂いで学んでいる。。。

■今、20代と団塊の世代がつながる意味
IMG_0619.jpg
*黙々と(時々騒然と)勉強するベトナム人学生の皆さん

正直、これまで死ぬほど働いてきて、定年を迎えても尚、
なぜこんなにも頑張るのだろうと思い、一度聞いてみたことがある。

「いや、やっぱり自分が貢献出来ている!って感じられるのは嬉しいでしょ。
 それに、少しでも若い人たち、下の世代の人たちに、自分の経験やスキルが
 役立つのなら、喜んで伝えたいと思うのが年寄りの正直な所なんだよ。ハハハ!」

こんなことを笑顔で答えてくれた方がいらっしゃることを自分は知らなかった。
ここでも愚か者検定1級である。

こんなにも気概があって、スキルも経験もあって、下の世代に返したいと
思っている人たちがいたんだと。

僕は勝手な偏見で、団塊の世代の方達を見ていた。
(逆もまた然りかもしれないが)
でも、ミクロで出会う方達はほとんどが上記のような素敵な方だった。

だからこそ、思う。もっと僕や僕より下の世代の人たちと団塊の世代の方達が
つながったら面白いことになるんじゃないかと。

もちろん、ただつながればいいだけではない。
正直、お互いプライドもあるし、譲れないところが多くて、
衝突もあるかもしれない。

でも、小さくてもいいから、少しでも20代と団塊の世代がつながることに
よって生まれた成功事例を創りたい。

日本は労働人口が減って行ってはいるが、見方を変えたらまだまだ埋もれている
資源が沢山埋まっている国だと思う。

女性の活用!とかはまさに最たるものだと思うし、こうした団塊の世代の方達と
若造のコラボレーションだって、やってできないことはないはず。

実際、今、僕はまさにそういった方と一緒に仕事をさせてもらっている。
だからこそ、自分がその当事者となれるように、今の仕事を成功させていきたいと思っている
ベトナムの夜なのでした。

今回は以上です。
いつもご覧頂き有難う御座います!

地味にFacebookやっているので、そちらでもぜひ意見交換させて頂けば嬉しく思います。
http://www.facebook.com/yasuhiro.kawamura.33

それではまた!

川村
  


Posted by やっつ at 00:02Comments(2)ベトナム仕事奮闘記

2012/07/04

フエでの1年9か月

480419_2779595109059_1833606230_1551018_1494535630_n.jpg
*この7月に卒業する教え子たちと@フエ

先週、僕がとてもお世話になったフエ外国語大学日本語学科の卒業パーティーがあった。
実は、僕は今、今年の1月にフエでの全ての仕事を終えて、現在はホーチミンで働かせてもらっている。
でも、このパーティーだけは行かねばならないと思い、参加をしてきた。

527632_2781612119483_1833606230_1551615_978734385_n.jpg
*ばっちりキメてきた生徒たちに戸惑うの巻

彼ら・彼女たちと出会ったのが丁度2年前くらいだったと思う。
ひょんなご縁から、大学に採用され、それからすぐにこの学年を担当させてもらった。

日本語はそれまで教えたことはなかったし、ベトナム語は全く話せなかった当時の私。
それでも、出来る限りのことはしようと、授業外でも(むしろ授業外で)よく遊びに行ったし、
連れて行ってもらった。

お腹が減ったときは、一緒にご飯を食べに行った。
自転車が盗まれた時は、「しょうがないね~」と言われつつ、迎えに来てもらっていた。
テスト時にカンニングしようとして怒ると、逆切れされるから更に怒り返したりもしていた。

当時は大学から徒歩30秒の寮に住んでいたこともあって、
僕の生活と仕事はほぼ大学と学生と共にあったように思う。


ホーチミンで働いている友人たちと話している時
「フエで何をしていたんですか?」
と良く聞かれることがある。

そういった時にふと思い出す。
あの期間は一体何だったんだろうかと。

振り返ると、「ベトナムが好きになれた」期間だったのかなと思う。

2010年4月にフエに来させてもらってから2012年1月まで約1年9ヶ月。
色々なことが会ったけれども、学生の皆さんとぐっと深くまで付き合うことが
出来て本当に良かった。

がっつりビジネスをしていた訳ではない(それならフエにはそもそも行かない)し、
じゃあ、日本語を専門的に教えていたかというとそうでもない。

ただただ「生きる」ことを目的に、毎日を過ごしていたように思う。
最初は収入ゼロだったし、一番最初の給料はなんと10万ドン(=約400円)だった。

正直に言うと、その頃は毎日
「このまま世捨て人になるんじゃないか。。。」という不安でブルブルしていた。

でも、学生の皆さんが圧倒的なお節介力で僕にかまってくれたことが、
いつしか、そんな思いも吹き飛ばしてくれた。

■学生から学んだこと

374631_223017387769469_100001836288860_548564_627623174_n.jpg
*毎年11月にある「先生の日」での一枚


そんな彼ら・彼女たちとの関わりを通じて、沢山のことを勉強させてもらった。

日本ではまずお目にかかれない勉強に対する熱心さ(とはいっても全員勉強している訳ではないが)。
家族、そして周りのコミュニティーを大切にするあり方。
彼らからみた日本、そして日本人像。

どれも、僕にとっては新鮮で、驚きの事実ばかりだった。

それまでは何でも「日本」を中心に考えていた。
仕事も、生活も、何もかもが「日本」だった。

でも、ここはベトナム。

言葉も違う、生活も違う、習慣も違う、、、
そんな何もかも「違う」国でも、一定の秩序だった社会が築かれていること。

何もかもが違うように見えても、日本人と同じようなことで笑ったり、怒ったり、喜んだりして
日々を生きているベトナムの方たち。

そんな姿を目の当たりにして、「ベトナムって面白いなー」と思えたこと、
そして「ベトナムをもっと知りたい、そして他の国のことも知りたい」と思えたことは、
随分、僕の視野を広げてくれた。

そして「住むところ、働くところは日本じゃない選択肢もあるんだ」
と肌感覚で実感できたことは、これから生きることに対して、とっても明るい希望を
灯してくれた。


■フエ外国語大学の皆様、本当に有難う御座いました。

283259_2333329015656_1322710232_2786079_3519864_n.jpg
*昨年、フエに遊びに来てくれた日本の友人と学生たちとの一枚。

さて、話は戻るが、とてもお世話をしてくれた学生たちがもうまもなく卒業を迎える。
僕自身、フエで得た学びをもとに、より仕事面でも生活面でもチャレンジがしたくなり、
今月からホーチミンで働かせてもらうことになった。

でも、フエはいつまでも僕の原点であり続けると思う。

恐らく、「いやー甘いよ君は。ベトナム人を分かっていないよ」と思われる方もいらっしゃるかもしれない。
それはその通りだと思うし、僕もまだまだこの国の人たちを理解していないと思う。

ただ、だからこそ面白いと思うし、困難に直面したときは、あのフエ生活のお陰で
逆に楽しめるようになった。

フエではデング熱になったり、自転車は4回くらい盗まれるし、謎のベトナム人から
誹謗中傷をされて、警察沙汰になりそうになったこともある。

その度に「なんなんじゃこれは!」と苛立っていた。
でも、それと同時に、近くのベトナム人が助けてくれた。

特にデング熱の時は、一歩も動けなかった僕に対して、
毎日山ほどのりんごとバナナを食べさせてくれたお陰で
無事生還することが出来た。

そういった紆余曲折を経て、やっぱりベトナム人は素敵だなと
思うようになっていったし、それは今も変わらない。


本日、『アウトプットから始める意味』という記事を拝読させて頂いた。

その中でとても示唆深い言葉が書かれていたので、引用させていただきます。
=======
クセといえば、途上国の生活もけっこうクセになるものかもしれない。
ノウハウを積み上げることで明らかにリターンに変化があらわれるからだ。
やるかやらないかでリターンに差がでるので、困難が多いほど中毒性がある。

ハマるためには「いろんなことを自分でやる」必要がある。
語学とおなじで自分がどれだけ「どっぷりつかる」かでしかない。

非効率なことを業者やメイドにやらせる前に、まず自分が非効率の苦しみを味わったほうが発見が多い。
初めからなんでもメイドにやらせるかたもいらっしゃるのだけど、とてももったいないとおもう。

メイドの使い方に熟練するのと引き換えに、歪みを体験する機会を手放してしまうからね。
ルールのちがう国で生活することのなかで、ぼくは不都合なことを日常にしてゆく過程がとくに愉しい。
あたらしい解をみつけるたびに、「またひとつ自由になった」とおもう。

=======

>あたらしい解をみつけるたびに、「またひとつ自由になった」とおもう。

この表現は何てその通りなんだろうと、一人ベトナムのカフェで唸ってしまった。

僕の場合はフエの学生たちと、日々あたらしい解を見つけ続け、一つずつ自由を獲得していった
のではないかと思っている。

これから先も沢山の困難があるだろう。
けれども、その度にどこかでフエでの生活と、学生たちと過ごしたことが思い出して、
「よっしゃ頑張るかー!」と思えるのだと思う。

その意味で、どうしようもない僕に対して、
生きる土台を与えてくれたフエの皆さんには心から感謝している。


■これからのこと

将来の目標の一つに「奨学金を創設する」というものがある。

僕がフエで与えてもらった学びを、逆にベトナム人の学生たちが日本へ行くことで
返していきたい。

彼ら・彼女たちの身分保障や、お金の出所、継続的な仕組みにするにはどうしていくのか
などなど、課題は山積み。
でも、僕はもう出来ると思っていて、具体的に動き出してしまっている。

大義名分なんて必要なくて、もっと日本人とベトナム人が身近に付き合って
行ける様な環境を創ろうと思う。

これはベトナムに限った話ではない。
近い将来、カンボジア、ラオス、ミャンマー、タイにも拡げたい。
うーん考えただけでもワクワクするなー。

ベトナムに行く前はこんなこと考えもしなかった。
でも、今はベトナムが身近になったからこそ、沢山のアイディアと共に、
毎日を楽しく生きていられている。

フエ外国語大学の皆さん、フエの皆さん、そして今まで関わってくださった
ベトナム人の皆さん、本当に有難う御座いました。

そしてこれからも宜しくお願いします。

最後に、学生の皆さん、卒業おめでとう御座います!
これからもよろしくね。

川村
  
Tag:フエ


Posted by やっつ at 00:37Comments(1)フエの日常

2012/03/29

GCP活動報告後編~「日本」の「大学生」が持つ可能性~

ベトナムに来させてもらい約2年。
その間、Twitterやブログ、紹介などを含め、
日本の大学生には約200人くらい会わせてもらっている。

今回のGCPだけでも、参加者20人、そして他のプログラムで
インターンをしている学生を含めると、合計60人くらいと出会うことが出来た。

その中で確信を持って言えることがある。
それは、200人の学生たち一人ひとりが、真剣に自分の人生を考え、試行錯誤を続けていること。
「このままではいけない!」と思い、果敢にベトナムにまで飛び込んで来ている人たちがいること。

そんな姿を見ていると、日本の中でよく言われている若者論(内向き・安定志向等々)とは大きく乖離している。
これはなぜなんだろうか。

類は友を呼んでいる可能性がもちろんあるとは思う。
けれども、僕はこうしたマクロなデータでは読み取れないもっとミクロな1人ひとりを
見てきた。出会った学生全てが、日々懸命にもがいていたし、具体的な行動に移していた。

そんな姿を目の当りにしてきて、
僕は率直に「かっこいいな」と思った。

良く「新興国の若者は猛烈に勉強していて、英語も話せる。ハングリー精神もある。
それに比べて日本の若者はダメだ」ということを聞くことがある。

確かにこちらの学生は猛烈に勉強しているし、そこは見習わなければならないと思う。
けれども、どちらの学生とも接してきた感覚として、日本の大学生だって決して
負けている訳ではない。

英語は環境として求められていないから勉強しないだけだ。
環境が必要に迫られれば、直ぐに話せるようになるはず。

また、語学以外でも「人としての当たり前レベル」は非常に高いと感じる。
例えば、『「時間」と「約束」を守ること』を何も言われなくても実践出来るのは日本人くらいじゃないだろうか。
ベトナムの企業の中には、こうした当たり前を出来るようにしたいと思いわざわざお金を払っているところも多い。

また、恵まれた国に生まれたからこそ、自然と出来る友達に対する気遣いや
心配りにはこちらの学生たちはいつも驚いている。
これらが日本に対する印象を更に良くしているのだろう。

つまり、日本の中で普通に生活しているだけでは、「場」と「出会い」が不足しているだけなのだ。
一度外に出て、適切な場と出会いさえあれば、自身が持つ数限りない可能性に気づくことが出来る。

何も日本を捨てて、海外で働くことを推奨している訳ではない。
日本は素晴らしい国であると思う。

 誰もが高等教育を受けられること。
 誰もが世界最高水準の医療を受けられること。
 人も優しく、食べ物も美味しい。
 いつでもどこでもいけるバスポートを持たせてもらえる。
 いつでも美味しい飲める水が蛇口から出てくる。

こうした良さは外に出るからこそ感じることが出来るものなのだ。
誰かに言われたものではなく、自分が外に出て、体験し、学んだことは、
自分の人生を圧倒的にポジティブにしてくれる。

実際に僕の友人であるK君はベトナムで外国人として働いた経験から、「日本にいる外国人の人たちがよりよく暮らしていけるための場を創りたい!」という想いを持つようになった。
これからは活動拠点を日本に移して働いていく予定。こうした視点で日本をとらえることが出来たのも
外に出たからなのではないかと思う。

このように、僕自身、今回のGCPを通じてこのようなことを学ばせてもらった。
だから、これからも圧倒的な体験、気づきにあふれた場作りに少しでも
関わっていきたいと思っている。

最後になりますが、今回のGCPを通じてご協力頂いた全ての皆様に
心から感謝を申し上げます。

至らぬ点が多々あり、ご迷惑をおかけしてしまったこともあります。
ただそんな中でも、暖かく学生のみなさんを迎え、彼ら・彼女たちの
成長を見守ってくれたこと、感謝しても仕切れません。

この場を借りて、改めて御礼を申し上げます。

今回は以上です。
今後ともどうかよろしくお願い致します!

川村泰裕

*実際は「内向きではない」とする参考資料はこちら
「若者は内向き」という誤解

  


Posted by やっつ at 04:52Comments(0)ベトナム仕事奮闘記

2012/03/29

GCP活動報告前編~「場」と「出会い」が自分を変える~

「こんなに面白い国、人たちがいたなんて僕は嬉しくてたまりません!絶対にまたホーチミンに戻ってきます!」
これは、最後にGCP参加者の1人である大学生が僕に向けて話してくれた言葉である。

2月下旬からから3月中旬にかけて、日本に大学生向けの海外研修プログラムである
GCP(=Global Challenge Program。以下GCP)をホーチミンにて行った。

僕は、約3週間の間、現地コーディネーターとしてずっと彼ら・彼女らと行動を共にしていた。
最初は「暑いっす!」「お腹痛いっす!」「パクチー食べられないっす!」と弱音を吐いていた
人たちが多かったのだが、日を追う毎に顔つきが変わっていき、いつしか前しか向かないように
なっていった。

そんな彼ら・彼女たちの姿を幸運にも目の当たりにすることになり、
日本の若者たちの底知れない可能性を感じることが出来た。

今回は「学生たちの変化はなぜ起こったのか」そして「日本の若者たちが秘めている可能性」
について、書いてみたい。

「何かやりたい!」と思っているけど、一体その想いをどこにぶつけたらいいのか
悩んでいる人がいたら、この文章が少しでも役に立てることを願っています。


■前編~GCPで起こったこと~
本文をはじめる前に、そもそもGCPとは何ぞやについて書きたい。
これは、「グローバル人材となるための第一歩を踏み出すこと」
を大きな目的として日本の研修会社である

スパイスアップジャパン豊田さん、
イマココミライ森田さん、
JOBWEBさん

の3社が主催となって
運営している学生向けの海外研修プログラムである。

内容は約3週間に渡って、
①企業訪問
②インターンシップ
③リサーチ活動
を行うという何とも中身の濃いものとなっている。

参加者は計20名、そして「え、何々面白そうじゃん!」と思ってくださった
フットワークの軽い大人たちが合計10名集い、実施することになった。

結論として、この20名の内、5名が再びホーチミンに戻り、
各企業先でインターンシップをすることになった。

また、「面白そう」という理由で集った運営側の大人たちにも劇的な変化があった。
ある人は、インターンシップ先の方に惚れ込み、か学生たちと一緒にインターンシップを申し出、
一緒に汗を流していた。

また、ある人は、9月からベトナムで農業をやることを決意。現在日本で早速仲間集めを
している。またある人は、ベトナムへ家族ごと移住し、仕事を始めることを決意。
こうした変化は、誰かに何かを強制された訳ではなく、自然と皆、行動に移していた。

最初は「どうして皆、熱くなっていくんだ!?」と分からないことだらけだった。
けれども、話込んでいくうちに「場」と「出会い」があれば、勝手に人は成長していくんだと
思うようになった。

○ベトナムという場が持つエネルギー

上向きの国と下向きの国というものがあるとしたら、
ベトナムは間違いなく上向きの国だ。

そうした国が持つエネルギーはいるだけで元気になってしまうから不思議である。
特に、バブル以降に生まれた日本の若者にとっては、初めて経験する「経済成長」という空気。
更にベトナムの方たちの多くが親日的である。

だからなのか、現在ホーチミンには次々と日本企業の進出が相次いでいる。
そればかりか、日本の若い起業家たちもどんどんチャンスを求め、果敢にチャレンジしている。
「自分も何かやったるで!」と思わずにはいられなくなってしまう。

加えて、物価水準は日本と比べて格段に安い。
100万円あれば、(内容にも拠るが)お店だって出せてしまう。

100万円を稼ぐとしたら大変なように思われるが、学生でも半年間、ちょっと頑張って
バイトすれば決して不可能な金額ではない。
良くて時給2万ドン(=約80円!)のベトナムとは10倍以上もらえる金額が違う。
仮に失敗したとしても、金銭的なリスクはほとんどない。

こうした恵まれた環境にいることは、以外と日本にいるだけでは気づかないし気づけない。
日本に生まれた者としてはこうした環境を作ってくれた先人たちに感謝感激雨嵐である。

○刺激的な出会い

今回の変化は、ベトナムという「場」に加え、現地で次々に起こった「出会い」も
大きな理由となっている。

特にインターンシップ先の企業の方たちとの出会いは、学生たちの今後の進路にも
多大な影響を与えることになった。

「学生の仕事は大きな夢を描くこと。そのための場づくりの為ならいくらでも協力したい」
と言ってくださった方がいました。

インターンシップ期間中、毎晩毎晩、食事会兼振り返り会を開催。
更に知り合いの起業家の方たちを呼んで、講演会を開催してくださった
方たちがいました。

「川村君、こうすればもっと面白いことになるよ!」とプログラムを一緒に考え、
提案をしてくださった方たちもいました。

こうした志ある企業の方たちとの出会いが学生たちに大きな気づきを自然と
与えたのだと思う。

加えて、そんなインターンシップ先の方たちの熱意に引き出された
学生たちの「ひたむきさ」「一生懸命さ」「頑張り」が、少なからずインターンシップ先の
方たちをも変えました。

「川村君、またぜひ受け入れたいからいつでも言ってくださいね」
とおっしゃって頂いた時は本当に嬉しかった。

これは一重に、インターンシップ先の方たちと学生たちの、メリットデメリットを超えた
「何か」が交錯した結果だと考えている。
こうしたことを振り返ると、人と人との出会いで生まれる可能性は半端ないなーと何度思ったことか。

このように、「場」と「出会い」さえあれば、人は勝手にどんどん変わっていく。
後編では、日本の大学生が持つこれからの可能性について書きたい。
  


Posted by やっつ at 04:46Comments(0)ベトナム仕事奮闘記

2011/11/07

日本人の仕事がなくなる日!?

*この記事は84ismへの投稿記事と同内容になります。

日本語学習者の卒業後の仕事とは



突然だが、海外で日本語を勉強している人の数をご存知だろうか。


その数、実に300万人。東京ドーム60個分である。
そして、その内の7割にあたる210万人がアジア圏に集中している。

では、もう一つ質問。
彼ら・彼女が日本語を勉強した後に就く仕事は何かご存知だろうか。

現地の日系企業で通訳として働く。
日本語ガイドとして働く。
日本語の先生として働く。

どれも正解である。さらに最近増えてきた選択肢が「日本企業を相手にビジネスをおこなうベトナム企業で働く」というものだ。最初は「へー、ベトナムの企業も力つけてきたんだ」くらいにしか思っていなかった。しかし、話を聞けばきくほど、この動きが加速していくと日本国内にある日本人の仕事ってなくなるよね、という危機感を抱かざるを得なくなった。

「マンガやアニメが好きだから日本語勉強しています!」という学生たちに対して「日本語を勉強してくれているなんてありがたいことだなー。」などと思うことがある。しかし、この動きはそんな牧歌的な話では終わらない。もっと日本人が真剣に向き合っていかなければならないことであると思う。だって仕事がどんどんベトナムに流れているのだから。

成長し続けるベトナムIT企業、その背景とは




最近、業績をどんどん伸ばしている現地のベトナム企業が出てきている。
特に、通信・IT系企業に勢いを感じる。

ベトナムでも日本におけるNTTのような超巨大通信・IT企業がある。
この企業は、日本では誰もが知っている大手企業からどんどんソフトウェアの開発を請負い、ぐんぐん成長している。僕の大学の教え子たちも卒業後、3分の1くらいがこの企業で働いている。

先日、この企業のとある部門の責任者の方と一緒にビールを飲んでいた時ふとこんなことを言っていた。
「いやー日本が不景気になればなるほどうちは儲かっちゃうんだよね。気の毒かもしれないけど、これが現実なんだよ。これからどんどん日本は不景気になって欲しいよね。ガハハ」。
*あくまでその方個人の意見です


この時は、「日本人を前にしてそれを言うか~」と思いカチンときた。しかし、彼らを選んでいるのは他でもない日本企業なんだと思うと、何も言うことが思い浮かばず、ただただビールを飲み続けるしかなかった。

また、BPO(ビジネスプロセス・アウトソーシング)という仕事も最近、頭角を表してきている。日本企業が悩みの種として持っている間接業務(給与計算や伝票処理等)を格安の人件費で請負うのがメインの業務だ。これによって、日本企業は営業などの直接業務に人員を集中出来ることになる。

こうした点にメリットを感じ、最近は日本の大手企業だけではなく中小企業もBPOをベトナムの会社に頼むことが増えている。

先日、BPO業務を請け負っているとあるベトナム企業の担当者とお話する機会を頂いた。そのとき「なぜ、日本企業を相手にBPOをおこなうことを決めたのか」と聞いてみた。すると、担当者の方はきっぱりとこう答えた。

「ビジネスチャンスだからです。日本語の難しさゆえに、BPOを日本企業相手に行なっている国は中国しかありません。だから、中国相手に負けないことだけを考えればいいのです。決して難しいことではありません」*原文のまま


現在、英語のBPO先としてはインドが中心だ。更にシンガポールや、フィリピンなど沢山の国も欧米圏からの仕事を受託している。そんな中で、まだ中国しか手を出していない日本市場の方が可能性を秘めているとのことであった。とても納得出来る話だし、しっかりと調査をした上でビジネスに取り組んでいる姿に正直驚かされた。

この先、彼らはもっともっと力をつけて、受託出来る仕事の範囲も広まっていくに違いない。そうなると将来、日本には日本人相手の営業の仕事か、ごく限られた上流工程の開発の仕事しか残らないんじゃないかと思う。この時は背筋が凍る思いだった。

この流れの行く末




ベトナムにはこれからももっと日本からの仕事が流れてくるだろう。不景気になればなるほど「価格が安い」ことの優先順位が高まってしまうからだ。ベトナム企業も「中国より賃金が安い」というメリットを最大限アピールしている。

これはかつて日本がアメリカに対して行なったことと似ている。
つまり、「安くて豊富な労働力」を武器にしてアメリカに「安くてよい製品」を輸出しまくった構図である。

次は日本の番なんだ。

日本はなんだかんだ言っても世界第3位の経済大国である。ベトナムの企業にとってこれは何よりの魅力なのだ。つまり「日本企業を相手にすれば儲かる」ということである。

ただし、日本企業の要望はとても高い。日本語という高い壁もある。日本人特有のビジネス習慣もある。しかし、こうした壁をベトナムの彼らはどんどん乗り越えてきている。品質も日に日に上がってきている。ではなければいまのように継続的に日本から仕事はもらえていないだろう。

実際彼らは努力家だし性格も優しいし、まじでいい奴らである。
僕なりにいつも彼ら・彼女たちと接してきたから分かることだ。

日本人のこれからの仕事とは




今後ベトナムを始め、新興国が力をつけてくるのは間違いない。
「安くて豊富な労働力」を武器に、これからもどんどん日本から仕事を取ってくるだろう。

そうした時に、僕たち日本人の仕事ってこれからどうなっていくのだろうか。

ベトナムの現状を見ていると「自分以外の誰かでも出来てしまう仕事」はこれからどんどん賃金の安い国に流れていくと考えられる。好むと好まざるとに関わらず、84世代の僕たちはこうした世の中を生きていかなければならない。

と、ここまで書いてきておいて「ちょ、まじでマッチョな世界いやなんだけど。。。」と思っている自分がいる。

しかし、この流れはどうやら避けられそうにない。であれば、ちょっと視点を変えて
この流れは「自らを変えるチャンス」と捉えてみるとどうなるだろう。

「自分にしかできない仕事」をとことん突き詰め、プロフェッショナルの道を歩むのもよし、徹底的にローカルに生きる!と決め半自給自足的な生活をつくるのもよし。仕事を二つ以上持つことで、複数の収入口をつくっておくのもよし。

幸いなことに、SNSの発達によって個人がより活動しやすくなってきている。変化するには環境は徐々に整いつつあるように思う。

「右向け右」で幸せであるように思えた時代ではもうない。日本のいい時代を知らないで育ち、アジア諸国が益々力を付けてきているこれからの時代。幸か不幸かそんな時代に生まれてしまった僕たち84世代。

でも、過去の日本の成功体験を持っていない僕たちだからこそ出来ることってあるはず。具体的なものはまだわからないが、個人個人の試行錯誤の結果として「あ、そういうことだったのね」と分かる日が5年後、10年後、20年後にやってくるのだろう。

ということで、自分はこれからもベトナムでごちゃごちゃともがきながら、次なる何かを追求し続けるつもりだ。

「いやいやこれはこう考えるよ!」など意見があれば、ぜひリプライを!

今回は以上。
ここまで読んでくださりありがとうございました!

川村  


Posted by やっつ at 15:48Comments(0)ベトナム仕事奮闘記

2011/10/18

リアルセーフティネットワークをつくる

以前からお世話になっている84ismさんに寄稿しました。
リアルセーフティネットワークをつくる」というものです。

何卒宜しくお願いします!

川村  


Posted by やっつ at 20:26Comments(0)ベトナム仕事奮闘記

2011/10/09

ツアー報告④「与えるということ」

 「いやー本当に何も持ってなかったから、逆に可能性があるかなと思ってさ」
 
 ツアーが終わってSさんから頂いた言葉である。
 今回のツアーはSさんとの出会いから全ては始まった。
 最後の記事は、Sさんとの出会いから、感じたこと、学んだことを書きたい。


■「与えられる」ことに慣れすぎていた自分

街頭インタビュー
*ツアー中行なった街頭インタビューの様子。皆真剣。


 Sさんとの出会いは藤沢烈さんたちと行なった「海外で働くということ」というイベントからだった。
 当時、「ベトナムに行く」ことしか決まっておらず、完全なフリーターだった僕は
 アルバイトをしながら、ベトナムへ行く資金を貯めていた。
 
 そんな時、ひょんなことから知人経由で、烈さんを紹介して頂き、
 あれよあれよという間にイベントの運営、そしてプレゼンターとして出演することになった。

 他のプレゼンターの方たちは既に海外で働いており、既に実績もある方たちばかり。
 実績がない、というか海外で働くというテーマでプレゼンしろと言われても、ネタが全く思い付かなかった。

 「これは、もう全裸の精神で発表するしかない」

 そう覚悟を決め、ベトナムに行くことになった経緯を赤裸々に話させてもらった。
「とにかく行ってきます!」とそれしか言っていなかったように思う。 
 
 けれども、そのプレゼンで、興味を持ってくださった方がSさんだった。
 イベントの後、Sさんからわざわざ連絡を頂き、昼食を一緒にすることに
 なった。その時は「応援しているから頑張ってね!」という激励の言葉を頂けたことを
 覚えている。
 
 当時は、まさかこんなご縁を頂けるとは思ってもいなかったので、僕は本当に嬉しかった。
その夜は友人たちに「今日、こんなことがあってさ~」と自慢げに話していた。

 その後、ベトナム出発直前に、僕が勝手に師匠としている友成真一先生という
 大学の恩師に挨拶に出掛けた。

 その時にSさんとの出会いについて、僕が嬉しそうに話していると、先生から
 そっとこんなことをおっしゃった。

「私からすると、その状況でそんなことを言えるSさんが凄いと思うよ」と一言。
 ……この言葉を聞いた瞬間、ガツーンとやられた。
 つまり、「何もない君に可能性を見出して、与えようとしてくれたSさんが凄い」ということだ。
     
 少し考えれば、まさ仰るとおり。
 Sさんは日中は激務で、その間をぬってイベントに参加してくれたばかりか、
 僕にまでわざわざ声をかけてくださった。一方で、僕は完全なフリーター。            
     
 このとき、「ああ、僕は与えられすぎてきたんだ。。。」ということにやっとこさ
 気づき始めることになった。
 このことはベトナムで生活することで更に痛感することとなる。

■洗濯機がない生活@フエ

 さて、突然ですが、皆さんの家には洗濯機があるだろうか?
 日本の家庭であれば、恐らく99%の確率で持っていることだろう。
 僕自身ももちろん、洗濯機は生まれた時からあったし、
 余りにも当たり前に有りすぎて、洗濯機がない生活なんぞ想像したこともなかった。

 しかし、今、僕は洗濯機がない生活をしている。
 学生たちが住む大学の寮を割り当てられているということもあり、
 全て手洗いである。

 当初は「洗濯機くらいなくても大丈夫でしょ」とタカを括っていた。
 だが、1週間くらいで早くも洗濯機の有り難みをわかるようになる。

 まず汚れを落とすのに時間がかかる。
 さらに、脱水するためのは多大なエネルギーを使う。

 あるとき、猛烈に疲れて帰ってきて、目の前に山のような
 洗濯物を前にした時、僕はふと松下幸之助さんの「水道理論」を
 思い出した。
  
 今なら幸之助さんの気持ちがとても良く分かる。
 洗濯機がない生活がこれほど不便だったとは。。。
 今、仮に家電メーカーに入ったら洗濯機を全力で売っていきたいと思える。
 心底洗濯機があった方がよいと体験を通じて分かっているからだ。

 このように、洗濯機一つとっても、僕はその有り難味に気づけなかった。
 つまり「与えられていることのありがたさ」に全く気付けていない
 大バカ野郎であったということだ。    

■学生との昼食にて
 写真③
*大量のバイク

 このことについては他のエピソードがある。
 先程、学生寮に住んでいるということを書いたが、
 しばしば、彼らと一緒に昼食を食べている。

 その食卓だが、日本人感覚からすると豊かとは言い難い。
 「ご飯+野菜の炒め物」くらいである。
 けれども、この前初めて気付いたのだが、僕が昼食に
 加わる時は上記に加えて「卵焼き」が必ず付いているのだ。。。
  
 意外に思わえるかもしれないが、ベトナムの卵は結構高い。
 近所の卵は一個4000ドン=15~16円くらいする。
 日本でも10個パック100円とかで売っていたりするので、実は
 値段はベトナムでも変わらない。

 そんな中、学生たちが卵を必ず用意してくれること。
 ここに来たばかりの頃は、卵があっても、
 「品数が少ないなー」と思っていた当時の僕には
 愚か者検定1級を授けたい。

■何もない自分でも「与える」余地は残っている!?

 写真5
*発表会の様子。白熱しました。

 生まれた時から、恵まれすぎていた環境にいた僕にとって、
 「与えられる」ということすら気づかずに、いつしかそれに慣れてしまっていたこと。

 だとしたら、少しでも何か与えることを始めたいと思い、ここに来てからあれこれ試している。
 というか与えられてばかりでは、仕事が生み出せないし、のたれ死んでしまうのだヽ(`Д´)ノ

 しかし、基本的に人に誇れるスキルも、お金も知恵もない。一体自分に何が出来るのか。。。
 自分の余りの力の無さにしばし途方に暮れたこともある。
   
 とはいえ、そんなないものねだりをしていても仕方がない。
 自分の「あるもの」の中で、出来ることからはじめていけばよいと思い
 始めたのがブログとtwitterであった。

 ブログやtwitterなどのSNSは手軽に発信(=与える)が出来るツールである。
 2010年4月当時、少なくとも20代で単身でベトナムにやってきていた日本人は  
 僕の知る限り5人くらいしかいなかった。

 今では「グローバル化!」「英語社内公用語化!」「留学生積極採用!」
 など聞かれるようになってきてはいる。しかし、当時はまだそんな
 ことは話題にはなっていなかった。

 その意味で、ベトナムに単身住み生活しながら学んだことが書かれた
 記事などは読む人が読めば少~しは価値があったのではないかと思う。

 ベトナムに来て、1年と半年。これまで100人くらいの方たちに来ていただいた。
 その中から生まれたご縁で、色んな仕事のチャンスを頂いた。
  
 これまで作ってきたツアーはもちろん、とある団体のフエに関する記事を
 書かせてもらったこともある。
 これらの仕事をさせてもらったきっかけは全てブログorTwitterからだった。

 これは僕にとって、パラダイムシフトとも言える出来事であった。
 特別なスキルや人脈がないと仕事なんて生まれないと思っていた。
 でも、ちっぽけな自分でも「人から求められること」に対して、
 期待に答えられるものが提供出来れば、そこに仕事は生まれる。
 
 全方位的に求められる専門スキルというのがあるのならば
 それを身につけるのに越したことはない。

 ただ、何もかもが年長者に対して不足している20代にとっては
 それを補うには、自分の「あるもの」がどこの誰に求められているかを
 考え、役に立とうと発信し続けることで、打開策が生まれるかもしれない。    

■与え続けることで、道を切り拓いていこう!
出動
*再び調査のため、出撃する参加者の方々

 ベトナムがどんどん力をつけてきている。
 その証拠に日本からベトナムへどんどん仕事が流れている。
 特にコストメリットが重視されるシステム構築の仕事などは
 卒業した僕の教え子たちがそういった仕事を毎日懸命に行なっている。
  
 また、今回のツアーに協力してくれたホーチミンの学生たちは学習意欲に関しては
 日本の学生たちを完全に凌駕してしまっている。
  
 世の中は知らない間に変化し続けているんだ。  
 今まではマクロな指標ででしか、ベトナムの経済成長を感じ取れていなかったが、
 今回のツアーを経て、ミクロなレベルでそれを感じ取ることが出来た。

 僕自身、今回のツアーを通じて、強烈な危機感を持った。
 じゃあ、そんな流れに対して、僕らは狼狽えることしか出来ないのだろうか。

 いや違う。ちょっとの勇気があれば、個人単位で新たな可能性に挑戦出来る時代でもある。  
 事実、今回のツアーの日本人参加者の方たちもそんなチャンレジ精神に満ちた人たちばかりだった。
  
 IT企業に勤めながら、本ツアーを通じて、
 既にベトナム人向けコスメサイトを立ち上げてしまった方がいる

 外資系メーカーに勤め、バリバリ活躍されていた方は、ツアー前にすっぱり
 会社を辞め、新たなチャンレンジに向け動き出していた。
 企業に長く勤めれば勤めるほどチャレンジ精神は失われていくと思い込んでいた
 僕にとって、とても衝撃的な出会いであった。

 そして「世界にハバタク冒険者を増やす」という理念のもと「ハバタク株式会社
 の代表を勤める丑田さん。
 今回のツアーの仕掛け人の1人でもある。
 彼は某グローバル企業で働く中で、世界の潮流に対する、日本教育のあり方に
 強烈な問題意識を抱き、「僕がやるしかない」と決意。
 ツアー後の飲み会で、「僕はこのテーマに人生を掛けています」と言い切っていた
 ことに、深く感動してしまったことを今でも覚えている。
 まじで素敵な会社です。今後要チェックです。

 他にも、経営者、弁護士、バリバリのビジネスパーソンの方など、
 あれだけ多種多様な人たちが、一同に集い、仕事づくりに向けて取り組んだ
 一週間は最高に刺激的であった。

 会社員、フリー、会社員、、、所属名称は色々あるが、動いている人は
 所属がなんであろうが、動きまくっている。
 しかも、組織に頼ることなく、自立的につながりをつくり、
 まっすぐ突き進んでいる方たちばかりだった。

 こうしたことが何も実績がない者でも「求められること」を見極め、
 発信し続けることは誰にでも出来る。
 そこから生まれた縁を紡いで、いくことが出来れば、世界中どこに
 いたって仕事が生み出せる可能性がある。

 そんな時代を僕らは生きている。

■最後に  
  
写真④
*最後の集合写真


 改めて、このような可能性に気づかせてくれたツアー関係者の皆様、
 本当にありがとうございました。
 そして、全ての始まりを創ってくださったSさんに心から御礼を申し上げたいと思います。
 Sさんがしてくださったことを後輩たちにお返し出来るようにこれからも精進していきます。

 *お知らせ1
 「co-creation-journey」の報告会が10月18日(火)@六本木にて開催されます。
  面白い出会いがあること間違いないので、都合の付く方はぜひ参加してみてください。
  「川村の記事を読んで」と仰っていただいた方には。。。
  私から渾身の御礼を述べさせてもらいます笑。
 
 *お知らせ2
 Facebookページを試験的につくってみました。
 こちらでも議論していきましょう!

 *参考記事:
 「世界は3層構造で出来ている
 「物が売れないのは消費するより生産することが楽しい時代になったから
 「【極論を考える】年収150万じゃホントに楽しく生きていけないのか?
 「http://diamond.jp/articles/-/9336?page=5  " target="_blank" title="弱点レーダーチャートでどんな大物もやっつける">弱点レーダーチャートでどんな大物もやっつける」
  


Posted by やっつ at 10:06Comments(2)ベトナム仕事奮闘記

2011/10/03

ツアー報告③~学生たちと、爆発しろ俺~

今回のツアーでは、ホーチミンの大学に通う大学生、特にビジネスに興味のある
AISECに所属している学生たちに協力を依頼していました。
ホームステイや、ベトナムの文化紹介、街で抱いた疑問に答えてもらうなど
仕事の種を一緒に探すパートナーとして協力してもらいました。
そんな彼ら・彼女との出会いは自分の中では衝撃的でした。。。

RIMG0033_convert_20111003183845.jpg
*バシバシ意見を出すLong君(一番左)。やるときはやる男。一旦OFFモードになると、ひたすらに優しい青年でした。


まず、最初に彼らと出会ったとき、なぜかベトナム人同士なのに英語で話をしていました。
僕:「なんでベトナム人同士で英語話してるの?」
学:「え?だってもなにもカルチャーだから」
僕:「(・∀・)ワオッ!」

ぶっちゃけ彼らの英語について行けず、友人の@emoshin84さん(ベトナム語堪能)に
助けてもらっていました涙。

RIMG0044_convert_20111003184219.jpg
*各チームのプレゼンに熱心に耳を傾ける学生たち。

さらにさらに
僕:「じゃあ、これからのやりとりはメーリングリストにしようか」
学:「そうですね。加えてgoogleドキュメントとFBでもアカウント作って、
   連絡取り合っていきましょう。」
僕:「あのーFacebookあまり使ったことないので教えてください。
   そしてgoogleドキュメントあまり使ったことないので教えてください。。。」
学:「しょうがないねー、OKOK!」
と、終始こんなやり取りばかりだったので、フエが恋しくなりました笑。

話を戻しますと、とにかくホーチミンの学生たちの学習意欲の高さには
本当に驚かされてばかりでした。
彼らと接していると、「自分は大学時代、一体何をやっていたんだ。。。」と
思わずにはいられなかったです。

「人の成長」=「国の成長」だと仮定すると、
これからベトナムが発展していくのは間違いないなと直感的に思いました。

意欲の高さという意味で、象徴的だった出来事を少し紹介します。
あれはツアーも終わりを迎える頃、僕は会場の片付けをしていました。
その中で、使い終わった大量の雑誌、本が残っていました。
僕にとって役目を終えたその本は捨てるものでした。

けれども、学生の中の一人が僕にこんな相談を持ちかけてきました。
学:「この本どうするの?」
僕:「え、捨てるよ。もう使い終わったし」
学:「折角買ったのにもったいないじゃん。まだまだ読んでいない本も沢山あるよ。」
僕:「それはそうだけど、重いし、ただの雑誌だよ。このまま捨てたほうがいいと思う」
学:「じゃあ、私がもって帰ってもいいですか?確かに重いけど、折角買ったんだし、
   必ず得られることはあるはずだよ。じゃあ持って帰るね!ありがと!」
僕:「(゜д゜)(ポカーン)」

どこまでも学び続けようとするこの精神はどこで養われたんでしょうね。

もちろん良いところばかりではありませんでした。
ツアー当日はドタキャンが相次ぎましたし、事前相談なしの遅刻、早退。。。
などなど、「しっかりしてくれー」と思うこともありました。
しかし、それを差し引いたとしても、意欲の高さについては度肝を抜かれました。

国が成長し続けている中で育つと、自然と意欲も湧き上がってくるのでしょうか。
フエでも感じたことですが、「将来は良くなるもんだ」という意識を自然と持てる
環境というのは、それだけでとてつもない価値があるんじゃないかということです。

日本で「勉強する意味が分からない」と悩む方はは、
ベトナムのような成長している国に身を置くのは一つの手かもしれません。
自然と「勉強する理由」が見つかると思います。

21世紀はアジアの時代と言われて久しいです。
人がいるところに消費が生まれます。
よって、今後、人口が増え、経済成長が続く可能性が大きい
東南アジア・東アジアに注目が集まるのは当たり前と言えば当たり前です。

とはいえ、20代の日本人の方たちで、実際にこれからの国である東南アジアの国々を
歩き回った方はそんなに多くないのでしょうか。

以前、ベトナムで会った若い日本人旅行者の方が、同世代のベトナム人学生と交流した後、
こんなことを仰っていました。

「正直、ベトナムを舐めていたと思う。ハノイとホーチミンはおろか、
 ベトナムという国自体がどこにあるか余り分かっていなかった。
 けれども、実際に来てみると、全く印象が違った。
 これほど発展していて、更にはこれだけ意欲の高い同世代がいるとは
 全く想像していなかった。あともう少し早く来ていればよかった」と。

これは、僕自身同じ印象を持ちましたし、今の日本人の若い人たちを象徴する一言
なんじゃないかとも思います。
*この点については別途、記事にします。

幸いにも日本人である僕たちには、世界中どこにでも行けるパスポートと
アルバイトを頑張っただけでアジア中を回れるだけの資金を稼げてしまう
国に生まれています。

日本では中々感じられない「変化」。ここでは嫌というほど感じることが出来ます。
日本国内では、日本の悲観論が飛び交うことが多々あります。

一方で、そんなアジアを自分の足でまわり、友をつくり、自分なりのビジョンを育んでいくことが
いとも簡単に出来る時代と国に僕たちは生まれていること。

これはなんて幸運なことなんだろうかと僕は思っています。

実際、日本人に対して好意的に受け止めてくださる方は多いですし、
活かせるものは先人に感謝しつつ、次の自分と社会のあり方を考えていくのは
僕たちの役割なんじゃないかと思います。

今回は以上になります。次回が最終回です。

川村  


Posted by やっつ at 18:51Comments(0)ベトナム仕事奮闘記

2011/10/03

ツアー報告②~起業家の方々~

10月に入りましたね。今年もあと2ヵ月。
そういえば、一昨日を持って、27歳になりました。。。
昨年、誕生日に記事を書きましたが、また別途思うところを書かせて頂きます。

皆様、いつもありがとうございます!

さて、前回の記事の続きです。
今回のツアーの目的は可能な限り個人レベルで始めることが出来る
「仕事の種を見つけること」です。

そこで既にホーチミンで企業されている方たちとも沢山お話をして頂きました。


以前、紹介させて頂いた、ホーチミンの本格ピザ屋であるPizza4Psの益子さん

今回はこちらの2Fを貸し出しして頂き、ワークショップをさせて頂きました。
かなり無茶なお願いもしてしまったのですが、快く対応してくださったことに
本当に感謝してます。
IMG_0471_convert_20111002201401.jpg
*素敵な2F。

RIMG0047_convert_20111002201853.jpg
*ワークショップの様子。

ホーチミンにお越しの際は、ぜひ立ち寄られてみてはいかがでしょうか。
ピザの味はもちろんのこと、スタッフの方たちが一丸となって、創り出されている
雰囲気を体感すると元気になれますよ!

*日経ビジネスオンライン「『アジアで起業』第2次ブーム到来」で取り上げられています。

不動産仲介を手がけるRess.vn (Real Estate Service Saigon)松本さん
cavt465fc19cd7884.jpg


日本人向けフリーペーパーを発行している週間ベッターの岡本さん
top_vetter__midium.jpg


日本人美容師による美容室「likeslife」小野さん
banner2_convert_20111003172143.jpg



ウェブ制作、ネットショップ、SEOなどを手がける「ワコンチェ」野原さん
*実は同じ大学の一個下。昨年、ブログから問い合わせを頂き、その後単身ホーチミン入り。
たくましさに脱帽です。ホーチミンで困った時は何かと相談に乗ってもらっています。
wakonche.jpg


一人でも気軽に立ち寄れるうどん屋「UDON45」清水さん
*清水さんは僕と同じ歳。ベトナムにきた時期も確かほとんど同じ。
0489c1e8-s.png
 一人で立ち上げている姿はただただ尊敬の一言。

たった1週間でしたが、それだけでもこれほど沢山の起業家の方たちと出会うことが出来ました。
お話を伺わせて頂く中で、特に印象的だった言葉があります。

「難しいビジネスモデルよりも当たり前なことを当たり前にすること。そして続けることが大切」というものです。

これからの市場であるベトナムでは、精緻なビジネスモデルをつくること
よりも、まず「やるかどうか」が問われているとのことです。

日本で考えれば、当たり前のように普及しているビジネスでも、ベトナムではまだ当たり前ではありません。
しかも、円高という追い風もあり、日本と比べたら数分の1のコストで取り組むことが出来る。
日本人にとっては大きなチャンスが到来しています。

。。。とはいえ、ほとんどの人たちはいきなりベトナムに飛び出して行けるかといえば
そうではありませんよね。
頭では分かってはいても、実際にベトナムに行って行動する人たちはほんの一握りだと思います。
ベトナムは言葉も、食べ物も、生活環境も何もかもが違います。

今回紹介させて頂いた方たちは、そんな状況でも、勇猛果敢に飛び込み、
事業をつくってこられた方たちばかり。

インタビューから、実体験にもとづき、熱く話をする皆さんの話を伺っていて、
「信念」と「行動」が大切なんだと改めて感じました。

「百聞は一見に如かず」はもちろん、「百見は一験に如かず」です。

特に、学生の方たちは、今のホーチミンには来るだけでも大学の講義1年分以上の価値が
あるんじゃないかと思っています。もし興味がある方はいつでもご連絡ください。


次回は、今回のツアーで一緒に仕事をしていたホーチミンの大学生について
思うところを書かせて頂きます!
ここまで読んで頂きありがとうございました!

川村  


Posted by やっつ at 17:56Comments(0)海外で働く人