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2013/01/27
「日本にいる外国人を支援する」唐津周平さん
唐津周平。当ブログでも度々登場している男。
ベトナム第3の都市ダナンで働いていた若造である。(といってももう27歳だが)
そんな彼が23歳から働き続けていたダナンを離れ、2013年1月より、気持ちを新たに
日本で活動をすることになった。
所属していた会社も退職し、これから単身、日本で仕事をつくることになる。
「日本で無職になり、更に無職になって帰ってくる」
というチャレンジングな決断をした彼を人は笑うかもしれない。
でも、僕は間近で彼と活動をしてきた人間として、心から彼のこれからを
応援したい。願わくば日本でも一緒に何か出来ないかと思っている。
だから、改めて彼への感謝の気持ちを伝えると共に、彼のこれからの活動を紹介したい。
■唐津さんが日本でやりたいこととは?

(日本で開催された「ベトナム×スリランカ×日本」パーティー中の一枚)
唐津さんは現在、「日本に住んでいる外国人の人たちの支援」
を仕事にするべく活動中だ。
具体的な仕事の形はこれから見つけていく予定である。
彼自身、約3年間、ベトナムダナンで「外国人」として活動をしてきた。
最初は友達ゼロ、語学力ゼロ、実力ゼロの状況。
しかしそんな中でも、心あるベトナム人の皆さん、そして「日本人」という先人たちの
資産のお陰で、生きていくことが出来た。
特に、彼と付き合って頂いていた日本語を勉強しているベトナム人の方達には
感謝しても仕切れないほどお世話になっていた。
彼ら、彼女たちが居てくれたからこそ、唐津さんはベトナムを好きになることが
出来たんだと思う。
しかし、翻って、唐津さん自身が日本人として日本に住んでいたとき、
日本に住む外国人の人たちにどれだけ関心を持っていただろうか。
彼曰く「大学のゼミに居た外国人留学生はほぼ無視していました」
という有様。
というか、いじめていたとかではなく、「関心を持っていなかった」という言葉が正しいだろう。
これには僕自身ハッとさせられた。
なぜなら全く同じことが自分自身にも言えたから。
僕の母校である早稲田大学は、国内でも有数の留学生数を誇る大学(らしい)。
しかし、大学4年間で、留学生の友達は一人もいない。
この話題についてお互い話すと「俺たちは愚か者検定1級だな」という話で落ち着きます。
「海外でも活躍できる日本人の育成」が騒がれて久しい。
日本市場が縮小していく中で、これから拡大が見込めるアジア市場で
如何に活躍出来る人を育てるかはこれからの日本企業にとって大きなテーマである。
「外へ外へ!」という気持ちは確かにわかる。
一人でも多くの日本人が早い段階から日本以外の国で働く経験を積むことは
本人にとって掛け替えのない経験になる。これは実体験からも思うことだ。
でも、忘れられがちなことが「日本にいる外国人」のことだ。
アジアの中では日本はまだまだ経済大国のひとつである。
だから、多くの優秀な外国人の方達が日本を訪れてくれている。
例えば、現在日本にいる外国人留学生数は約13万人と言われている。
その中で約4000人がベトナム人留学生だ。
折角、日本に関心を持ってきてくれている留学生の皆さん。
お互いが密に関わり合いを持つことで、新たな気づきが
生まれることは間違いないだろう。
しかし、そんな留学生の人たちに一体日本の大学生はどれだけ
関心を持っているのだろう。少なくとも僕は全く持っていなかった。
何てもったいないことをしていたんだろうと痛感する。
余談だが、僕は今年、久しぶりに実家のある名古屋で正月を過ごした。
高校時代の友達と飲みに行くべく、地下鉄を乗っていたときのこと。
車内にて、何やら聞き覚えのある言語が。。。ベトナム語だ!
何とたまたま隣に座った方がベトナム人留学生だったのだ。
ためらうことなく、ベトナム語で話かけると「!!!!!」と
先方も無茶苦茶驚いていました。
聞くところによると、なんとフエ出身の方であった。
日本には3年前に留学に来て、現在は大学生であるとのこと。
しばし、フエ弁での歓談を楽しんだ後、携帯番号を交換し、
その後は「hen gap lai(またね)!」といって別れた。
ほどなくしてメールを頂いた。するとこんなことが書かれていた。
「今日はありがとうございました。まさか日本でベトナム語で会話できるとは
思ってもいませんでした。
日本で、日本人とベトナム語で会話できることが
こんなにも嬉しいことだとは思いませんでした。
本当に有難う御座いました。これからも宜しくお願いします」と。
このメールを頂いたとき、素直に嬉しかった。
と同時に、彼のこれまでの苦労が行間から読み取ることも出来た。
彼の周りにはベトナムに関心を持っている人は少ないのだろう。
なぜ彼が日本に留学しているのかすら関心を持っていない人も多いんじゃないか。
何か良いか悪いかではなく、
僕自身がそんな学生だったので、何だか「本当に申し訳ありません!」
という気持ちになってしまった。
■唐津さんを通じて見る「テーマを持って生きる面白さ」
そろそろ筆をおきますが、再度に一言。
唐津さんと接していて思うことが
「テーマを持って生きること」は人生をより楽しくする
ということだ。
「自分が何をやりたいのか」
「自分はこの仕事に向いているのだろうか」
こう思い悩む人は多いと思う。
何を隠そう自分自身も日々葛藤中だ。
唐津さんの場合には、幸いにも人生を掛けて探究していきたい
テーマを見つけることが出来た。
沢山の選択肢の中から一つに絞り込むことには
勇気が必要だ。
彼の場合は、自分自身の体験が後押しとなり、
ゼロから、「日本にいる外国人の支援」をしたいと
思うようになった。
テーマを見つけることは本当に難しい。
自分自身が「挑戦と克服」を繰り返していかなければ
人生を掛けたテーマは見つからない。
逆に、「テーマ」さえ持ち、誠実に活動していれば
共鳴しあう仲間はSNSを通じて繋がりやすくなっている。
23歳リストラという追い込まれた状況からベトナムに行くという
決断を下したこと。
彼の後には僕を始め沢山の日本の若者が後に続いた。
さらに、人生を掛けて追い求めたいテーマを見つけ、
裸一貫で日本で活動をしようと決断している。
自分自身に起こってしまったことは真摯に受け止める。
それを時にはネタにして、人を楽しませるユーモアを持っていること。
一方、譲れないところは譲らず、自身のテーマを追い続ける。
そんな面白さと強さを持った唐津さんにはこれから沢山の
人の輪が出来るんだろうと僕は確信している。
中国の諺には
「飲水不忘挖井人(水を飲むときには井戸を掘った人を忘れない)」
という諺がある。
唐津さんはまさに井戸を掘った人。
僕はそんな彼にこれからも感謝をし続けるだろう。
最期に、、、
そんな唐津さんがベトナムと日本で活動出来ているのは
一重に彼を支えてくださる皆様のお陰です。
僕からも深く御礼を申し上げます。
七転八倒、抱腹絶倒、試行錯誤を続ける唐津さんを
これからもどうかよろしくお願い致します。
唐津さんのこれからに幸あれ!
川村@HCMより
ベトナム第3の都市ダナンで働いていた若造である。(といってももう27歳だが)
そんな彼が23歳から働き続けていたダナンを離れ、2013年1月より、気持ちを新たに
日本で活動をすることになった。
所属していた会社も退職し、これから単身、日本で仕事をつくることになる。
「日本で無職になり、更に無職になって帰ってくる」
というチャレンジングな決断をした彼を人は笑うかもしれない。
でも、僕は間近で彼と活動をしてきた人間として、心から彼のこれからを
応援したい。願わくば日本でも一緒に何か出来ないかと思っている。
だから、改めて彼への感謝の気持ちを伝えると共に、彼のこれからの活動を紹介したい。
■唐津さんが日本でやりたいこととは?

(日本で開催された「ベトナム×スリランカ×日本」パーティー中の一枚)
唐津さんは現在、「日本に住んでいる外国人の人たちの支援」
を仕事にするべく活動中だ。
具体的な仕事の形はこれから見つけていく予定である。
彼自身、約3年間、ベトナムダナンで「外国人」として活動をしてきた。
最初は友達ゼロ、語学力ゼロ、実力ゼロの状況。
しかしそんな中でも、心あるベトナム人の皆さん、そして「日本人」という先人たちの
資産のお陰で、生きていくことが出来た。
特に、彼と付き合って頂いていた日本語を勉強しているベトナム人の方達には
感謝しても仕切れないほどお世話になっていた。
彼ら、彼女たちが居てくれたからこそ、唐津さんはベトナムを好きになることが
出来たんだと思う。
しかし、翻って、唐津さん自身が日本人として日本に住んでいたとき、
日本に住む外国人の人たちにどれだけ関心を持っていただろうか。
彼曰く「大学のゼミに居た外国人留学生はほぼ無視していました」
という有様。
というか、いじめていたとかではなく、「関心を持っていなかった」という言葉が正しいだろう。
これには僕自身ハッとさせられた。
なぜなら全く同じことが自分自身にも言えたから。
僕の母校である早稲田大学は、国内でも有数の留学生数を誇る大学(らしい)。
しかし、大学4年間で、留学生の友達は一人もいない。
この話題についてお互い話すと「俺たちは愚か者検定1級だな」という話で落ち着きます。
「海外でも活躍できる日本人の育成」が騒がれて久しい。
日本市場が縮小していく中で、これから拡大が見込めるアジア市場で
如何に活躍出来る人を育てるかはこれからの日本企業にとって大きなテーマである。
「外へ外へ!」という気持ちは確かにわかる。
一人でも多くの日本人が早い段階から日本以外の国で働く経験を積むことは
本人にとって掛け替えのない経験になる。これは実体験からも思うことだ。
でも、忘れられがちなことが「日本にいる外国人」のことだ。
アジアの中では日本はまだまだ経済大国のひとつである。
だから、多くの優秀な外国人の方達が日本を訪れてくれている。
例えば、現在日本にいる外国人留学生数は約13万人と言われている。
その中で約4000人がベトナム人留学生だ。
折角、日本に関心を持ってきてくれている留学生の皆さん。
お互いが密に関わり合いを持つことで、新たな気づきが
生まれることは間違いないだろう。
しかし、そんな留学生の人たちに一体日本の大学生はどれだけ
関心を持っているのだろう。少なくとも僕は全く持っていなかった。
何てもったいないことをしていたんだろうと痛感する。
余談だが、僕は今年、久しぶりに実家のある名古屋で正月を過ごした。
高校時代の友達と飲みに行くべく、地下鉄を乗っていたときのこと。
車内にて、何やら聞き覚えのある言語が。。。ベトナム語だ!
何とたまたま隣に座った方がベトナム人留学生だったのだ。
ためらうことなく、ベトナム語で話かけると「!!!!!」と
先方も無茶苦茶驚いていました。
聞くところによると、なんとフエ出身の方であった。
日本には3年前に留学に来て、現在は大学生であるとのこと。
しばし、フエ弁での歓談を楽しんだ後、携帯番号を交換し、
その後は「hen gap lai(またね)!」といって別れた。
ほどなくしてメールを頂いた。するとこんなことが書かれていた。
「今日はありがとうございました。まさか日本でベトナム語で会話できるとは
思ってもいませんでした。
日本で、日本人とベトナム語で会話できることが
こんなにも嬉しいことだとは思いませんでした。
本当に有難う御座いました。これからも宜しくお願いします」と。
このメールを頂いたとき、素直に嬉しかった。
と同時に、彼のこれまでの苦労が行間から読み取ることも出来た。
彼の周りにはベトナムに関心を持っている人は少ないのだろう。
なぜ彼が日本に留学しているのかすら関心を持っていない人も多いんじゃないか。
何か良いか悪いかではなく、
僕自身がそんな学生だったので、何だか「本当に申し訳ありません!」
という気持ちになってしまった。
■唐津さんを通じて見る「テーマを持って生きる面白さ」
そろそろ筆をおきますが、再度に一言。
唐津さんと接していて思うことが
「テーマを持って生きること」は人生をより楽しくする
ということだ。
「自分が何をやりたいのか」
「自分はこの仕事に向いているのだろうか」
こう思い悩む人は多いと思う。
何を隠そう自分自身も日々葛藤中だ。
唐津さんの場合には、幸いにも人生を掛けて探究していきたい
テーマを見つけることが出来た。
沢山の選択肢の中から一つに絞り込むことには
勇気が必要だ。
彼の場合は、自分自身の体験が後押しとなり、
ゼロから、「日本にいる外国人の支援」をしたいと
思うようになった。
テーマを見つけることは本当に難しい。
自分自身が「挑戦と克服」を繰り返していかなければ
人生を掛けたテーマは見つからない。
逆に、「テーマ」さえ持ち、誠実に活動していれば
共鳴しあう仲間はSNSを通じて繋がりやすくなっている。
23歳リストラという追い込まれた状況からベトナムに行くという
決断を下したこと。
彼の後には僕を始め沢山の日本の若者が後に続いた。
さらに、人生を掛けて追い求めたいテーマを見つけ、
裸一貫で日本で活動をしようと決断している。
自分自身に起こってしまったことは真摯に受け止める。
それを時にはネタにして、人を楽しませるユーモアを持っていること。
一方、譲れないところは譲らず、自身のテーマを追い続ける。
そんな面白さと強さを持った唐津さんにはこれから沢山の
人の輪が出来るんだろうと僕は確信している。
中国の諺には
「飲水不忘挖井人(水を飲むときには井戸を掘った人を忘れない)」
という諺がある。
唐津さんはまさに井戸を掘った人。
僕はそんな彼にこれからも感謝をし続けるだろう。
最期に、、、
そんな唐津さんがベトナムと日本で活動出来ているのは
一重に彼を支えてくださる皆様のお陰です。
僕からも深く御礼を申し上げます。
七転八倒、抱腹絶倒、試行錯誤を続ける唐津さんを
これからもどうかよろしくお願い致します。
唐津さんのこれからに幸あれ!
川村@HCMより
2011/10/03
ツアー報告②~起業家の方々~
10月に入りましたね。今年もあと2ヵ月。
そういえば、一昨日を持って、27歳になりました。。。
昨年、誕生日に記事を書きましたが、また別途思うところを書かせて頂きます。
皆様、いつもありがとうございます!
さて、前回の記事の続きです。
今回のツアーの目的は可能な限り個人レベルで始めることが出来る
「仕事の種を見つけること」です。
そこで既にホーチミンで企業されている方たちとも沢山お話をして頂きました。
以前、紹介させて頂いた、ホーチミンの本格ピザ屋であるPizza4Psの益子さん
今回はこちらの2Fを貸し出しして頂き、ワークショップをさせて頂きました。
かなり無茶なお願いもしてしまったのですが、快く対応してくださったことに
本当に感謝してます。

*素敵な2F。

*ワークショップの様子。
ホーチミンにお越しの際は、ぜひ立ち寄られてみてはいかがでしょうか。
ピザの味はもちろんのこと、スタッフの方たちが一丸となって、創り出されている
雰囲気を体感すると元気になれますよ!
*日経ビジネスオンライン「『アジアで起業』第2次ブーム到来」で取り上げられています。
不動産仲介を手がけるRess.vn (Real Estate Service Saigon)松本さん

日本人向けフリーペーパーを発行している週間ベッターの岡本さん

日本人美容師による美容室「likeslife」小野さん

ウェブ制作、ネットショップ、SEOなどを手がける「ワコンチェ」野原さん
*実は同じ大学の一個下。昨年、ブログから問い合わせを頂き、その後単身ホーチミン入り。
たくましさに脱帽です。ホーチミンで困った時は何かと相談に乗ってもらっています。

一人でも気軽に立ち寄れるうどん屋「UDON45」清水さん
*清水さんは僕と同じ歳。ベトナムにきた時期も確かほとんど同じ。

一人で立ち上げている姿はただただ尊敬の一言。
たった1週間でしたが、それだけでもこれほど沢山の起業家の方たちと出会うことが出来ました。
お話を伺わせて頂く中で、特に印象的だった言葉があります。
「難しいビジネスモデルよりも当たり前なことを当たり前にすること。そして続けることが大切」というものです。
これからの市場であるベトナムでは、精緻なビジネスモデルをつくること
よりも、まず「やるかどうか」が問われているとのことです。
日本で考えれば、当たり前のように普及しているビジネスでも、ベトナムではまだ当たり前ではありません。
しかも、円高という追い風もあり、日本と比べたら数分の1のコストで取り組むことが出来る。
日本人にとっては大きなチャンスが到来しています。
。。。とはいえ、ほとんどの人たちはいきなりベトナムに飛び出して行けるかといえば
そうではありませんよね。
頭では分かってはいても、実際にベトナムに行って行動する人たちはほんの一握りだと思います。
ベトナムは言葉も、食べ物も、生活環境も何もかもが違います。
今回紹介させて頂いた方たちは、そんな状況でも、勇猛果敢に飛び込み、
事業をつくってこられた方たちばかり。
インタビューから、実体験にもとづき、熱く話をする皆さんの話を伺っていて、
「信念」と「行動」が大切なんだと改めて感じました。
「百聞は一見に如かず」はもちろん、「百見は一験に如かず」です。
特に、学生の方たちは、今のホーチミンには来るだけでも大学の講義1年分以上の価値が
あるんじゃないかと思っています。もし興味がある方はいつでもご連絡ください。
次回は、今回のツアーで一緒に仕事をしていたホーチミンの大学生について
思うところを書かせて頂きます!
ここまで読んで頂きありがとうございました!
川村
そういえば、一昨日を持って、27歳になりました。。。
昨年、誕生日に記事を書きましたが、また別途思うところを書かせて頂きます。
皆様、いつもありがとうございます!
さて、前回の記事の続きです。
今回のツアーの目的は可能な限り個人レベルで始めることが出来る
「仕事の種を見つけること」です。
そこで既にホーチミンで企業されている方たちとも沢山お話をして頂きました。
以前、紹介させて頂いた、ホーチミンの本格ピザ屋であるPizza4Psの益子さん
今回はこちらの2Fを貸し出しして頂き、ワークショップをさせて頂きました。
かなり無茶なお願いもしてしまったのですが、快く対応してくださったことに
本当に感謝してます。

*素敵な2F。

*ワークショップの様子。
ホーチミンにお越しの際は、ぜひ立ち寄られてみてはいかがでしょうか。
ピザの味はもちろんのこと、スタッフの方たちが一丸となって、創り出されている
雰囲気を体感すると元気になれますよ!
*日経ビジネスオンライン「『アジアで起業』第2次ブーム到来」で取り上げられています。
不動産仲介を手がけるRess.vn (Real Estate Service Saigon)松本さん

日本人向けフリーペーパーを発行している週間ベッターの岡本さん

日本人美容師による美容室「likeslife」小野さん

ウェブ制作、ネットショップ、SEOなどを手がける「ワコンチェ」野原さん
*実は同じ大学の一個下。昨年、ブログから問い合わせを頂き、その後単身ホーチミン入り。
たくましさに脱帽です。ホーチミンで困った時は何かと相談に乗ってもらっています。

一人でも気軽に立ち寄れるうどん屋「UDON45」清水さん
*清水さんは僕と同じ歳。ベトナムにきた時期も確かほとんど同じ。

一人で立ち上げている姿はただただ尊敬の一言。
たった1週間でしたが、それだけでもこれほど沢山の起業家の方たちと出会うことが出来ました。
お話を伺わせて頂く中で、特に印象的だった言葉があります。
「難しいビジネスモデルよりも当たり前なことを当たり前にすること。そして続けることが大切」というものです。
これからの市場であるベトナムでは、精緻なビジネスモデルをつくること
よりも、まず「やるかどうか」が問われているとのことです。
日本で考えれば、当たり前のように普及しているビジネスでも、ベトナムではまだ当たり前ではありません。
しかも、円高という追い風もあり、日本と比べたら数分の1のコストで取り組むことが出来る。
日本人にとっては大きなチャンスが到来しています。
。。。とはいえ、ほとんどの人たちはいきなりベトナムに飛び出して行けるかといえば
そうではありませんよね。
頭では分かってはいても、実際にベトナムに行って行動する人たちはほんの一握りだと思います。
ベトナムは言葉も、食べ物も、生活環境も何もかもが違います。
今回紹介させて頂いた方たちは、そんな状況でも、勇猛果敢に飛び込み、
事業をつくってこられた方たちばかり。
インタビューから、実体験にもとづき、熱く話をする皆さんの話を伺っていて、
「信念」と「行動」が大切なんだと改めて感じました。
「百聞は一見に如かず」はもちろん、「百見は一験に如かず」です。
特に、学生の方たちは、今のホーチミンには来るだけでも大学の講義1年分以上の価値が
あるんじゃないかと思っています。もし興味がある方はいつでもご連絡ください。
次回は、今回のツアーで一緒に仕事をしていたホーチミンの大学生について
思うところを書かせて頂きます!
ここまで読んで頂きありがとうございました!
川村
2011/06/26
カンボジアで働く吉川舞さん
随分前の話になるが、今年1月に、カンボジアで働く吉川さんに会うべく、
カンボジアはシュムリアップに行ってきた。
僕は幸いにもとても尊敬する友人が何人がいる。
彼女はその中でも、己の信念に基づき生きていて、
いつも刺激をもらっている本当に尊敬している友人の一人である。

*彼女が働く「バイヨン」という遺跡。
真っ青な空の下に佇む遺跡はただただ美しかった。
■吉川さんとの出会い
「カンボジアで起業しようとしている奴がいるぞ」
とある友人経由から、こんな衝撃的な紹介を受けたことを今でも鮮明に覚えている。
「え、カンボジア?しかも起業?どういうこっちゃい!?」といくつもの?が
頭に思い浮かんだ。
当時の僕は、就職活動も終わった大学4年生。
海外なんて興味はなく、カンボジアに至っては地雷と戦争のイメージしかなかった。
そんなドメスティックな僕に彼女はガツーンと刺激を与えてくれたのだった。
彼女の第一印象はまさに「弾丸」そのものだった。
大学2年次にカンボジアと出会ってから、それからはずっとカンボジアに
のめり込み、卒業後はカンボジアで働くという。
*のめり込み過ぎて、当時は大学5年目に突入していたが笑、
「なぜカンボジアなのか、なぜ起業しようとしているのか」
あまりにぶっ飛んでいた話だったので、聞いてみるとそこには
彼女の苦悩と葛藤の末に導かれた結論だったんだと納得することになった。

*吉川さんが働く村での一コマ。余りにかわいくてカンボジア移住を考えました。
■カンボジアとの出会い
実は吉川さんは元々カンボジアに興味があった訳ではない。
彼女の親が昔から世界各地の遺跡を調査している関係で、
幼い頃から、自然と遺跡に興味を持つようになったとのこと。
「将来の夢はユネスコで働くこと!」
そう思い、大学進学も遺跡について学びたいと思い、
早稲田に進学。
しかし、希望していた授業はことごとく選外となりテンションが一旦落ちかける。
それではいかんということで、自分で世界各地の遺跡を観て回ろうと、
主にヨーロッパ各地を巡る旅に出る。
ただ、見て回れば回るほど、自分の入り込む余地がないことを
痛感したという。
そんな中、とあるスタディツアーでたまたま訪れた先がカンボジアだった。
そこで彼女は衝撃を受ける。
「カンボジアの人たちはその地にどっしりと根を張って生きていた。
たった10歳くらいの子供でも、その中で自分の役割を全うしていた。
一方、当時20歳の私は何がやりたいのかも分からずふらふらしている。。
一体これってどういうことなんだろうか」
それと同時に「この人たちからもっと学びたい」
そういった思いが徐々に込み上げてきたとのこと。
そうしてカンボジアにのめり込む日々が始まった。

*カンボジアは大地の力をとても感じる。
■日本、それともカンボジア?、
それからは学生時代の大半をカンボジアにささげる日々が続く。
月日は巡り、彼女も就職を考えなければならない時期に差し掛かる。
2008年の就職活動の状況は「いざなぎ超え」といわれたまさに
好景気真っ只中。
今じゃ信じられないけど、「内定いくつもらったか」
を酒の肴に飲むみたいな状況でした。
だから就職しないなんて選択肢は当時からしたらありえないことでした。
「日本で一度就職するか、それともカンボジアでいきなり働くか。。。」
当時はかなり葛藤したみたいです。
実は就職活動も少ししていて、内定ももらっていたみたいです。
しかし、彼女からどうしても消し去ることが出来なかった「カンボジア」。
普通に考えれば、一旦日本で働いてからカンボジアで働いても
いいんじゃないかと思います。けれども彼女はそれが嫌だった。
「大好きなカンボジアで、大好きなカンボジア人たちと、この国の
行く末を見届けたかった。急速に発展しているカンボジアで、
一年もいないと取り残されてしまう。そうなったらもう戻って来れない」
そう思ったという。
とはいえ、彼女の前にはもう一つ大きな壁にぶち当たります。
「仕事はどうするのか」ということです。

*神々しいまでの遺跡
思い悩んだ末に出てきた結論は「仕事を創る」こと。
当時、カンボジアの主要観光地であるシュムリアップには
既に沢山の日本人観光客が訪れていた。
しかし、各旅行会社も似たようなツアーばかり。
観光客としても旅行会社としても新しいツアーがないかと
潜在的なニーズが高まっていた。
彼女はそこに気がつき、今までにない新しいツアーを創ることで、
生きていこうと決意。
学生時代から縁があった遺跡修復センターに、籍だけを置かせて
もらい、「遺跡修復現場を巡るツアー」を旅行会社に企画提案。
彼女の予想はどんぴしゃで当たり、見事に新しい仕事を自ら創り、
今はそこからの収入で、カンボジアでたくましく生きている。
■人生というゲームに参加するということ
そんな彼女も今年でカンボジア生活4年目を迎えている。
元々シュムリアップ自体、数多くの日本人が訪れる土地であったこと、
さらに彼女のような珍しく面白いツアーを実施しているところが
少なかったため、数多くのお客さんがこのツアーを利用してくれたとのこと。
昨年1年間だけ約1000人以上の方たちをアテンドし、
中には国を動かしているレベルの方たちもアテンドし、仲良く
なったとのこと。。。
彼女をみていると本当に意思あるところに人が集まって、
結果的に道が開かれていくんだと痛感する。
しばしば、就職先に悩む後輩たちに彼女を紹介するときがある。
中には「いやー吉川さんだからこそ出来たと思いますよ。」と
ある種彼女を特別扱いしてしまっている学生もいる。
もちろん、彼女と全く同じ道を歩むのは無理だと思うし、
その必要はない。
それぞれのストーリーがあって、その人なりの道を歩めばいい。
ただ、自分なりの道を歩むにあたって、彼女から学べることは
多い。
ツアーの話にしたって、同じようなことを思っていた人は多いはず。
けれども、実行に移したのは彼女だけだったのだ。
それ以前に、内定を蹴ってまで、こちらで働くという「意思」
がなければ、今の仕事は生まれていなかっただろう。
僕からみると彼女は本当に頭が良くて、普通に働いていても、
恐らくかなり期待をされて、不自由のない丘陵をもらい、
バリバリ働いていたんじゃないかと思う。
けれども、彼女はその道を選ばなかった。
ある程度予想できる未来ではなく、先の見えない、けれども、
自分が歩みたい道を自分の意思で選び、今確実に道を作っている。
「リスクをとらないとリターンは得られないんだよ」
これは昨晩、とある事業家の方とご一緒させてもらったときに
頂いた言葉である。
人生を壮大なゲームだとすると、自分が求めるリターンを得るためには
それなりのリスクをとらないといけない。
いくら理想論を語ろうが、頭が良かろうが、自分自身が体を張って
リスクを取っていなければ、周りの人たちは応援しないだろうし、
自分が得たいとリターンも得られるはずがない。
「日本人の大半は、リスクを恐れる余り、人生というゲームに
参加すらしていない。」ということもおっしゃっていた。
この言葉を頂いたとき、真っ先に思い浮かんだのは吉川さんだった。
今の彼女の姿を見ていたら、仮に学生の頃知らなくても、
応援したくなってしまうし、自分が出来ることは何でもしたいと
自然と思ってしまう。
それだけ彼女は魅力的だし、覚悟を持って働いているからなんじゃないか。

*村で出会った少年。いい笑顔^^
■吉川さんのこれから
そんな彼女だが、決して順風満帆な訳ではない。
ツアーにはまだまだ改善点が多いらしく、日々その改善に取り組んでいる。
またいつまでも吉川さんだけがガイドしているのではなく、
後継者も育てていかなければならない。
さらには新しいツアーも創っていこうとしている。
彼女がやりたいことは
「遺跡」と「観光」の距離をもっと縮め、
持続可能な形での新しい遺跡保存のあり方を生み出すことである。
世界的にもまだ事例がない取り組みで、日々試行錯誤をしている。
もちろん、この取り組みに対して、全員が賛成している訳ではなく、
反対する人も多いという。
けれども、彼女は今の生き方を変えないだろうし、これからも意思を持って、
未踏の分野を切り開いていくに違いない。
こんな友人を持てて、僕は本当に幸せ者だと思う。
彼女の一友人として、彼女と切磋琢磨できるように、
自分もこの地でやっていきたい。
もし、カンボジアに行く予定がある方はぜひ吉川さんに
会って欲しいと思う。
彼女のツアー自体も無茶苦茶勉強になるし、
この生き様をみておくだけでも、その後の自分の進路を考える際にも
役立つのではないかと思っている。
*彼女が取り上げられた記事を最後に紹介しておきます。
カンボジアに就職した吉川舞さん
それでは今回は以上です。
長くなってしまいましたが、ここまで読んでくださった方、
いつも本当にありがとうございます!
川村
カンボジアはシュムリアップに行ってきた。
僕は幸いにもとても尊敬する友人が何人がいる。
彼女はその中でも、己の信念に基づき生きていて、
いつも刺激をもらっている本当に尊敬している友人の一人である。

*彼女が働く「バイヨン」という遺跡。
真っ青な空の下に佇む遺跡はただただ美しかった。
■吉川さんとの出会い
「カンボジアで起業しようとしている奴がいるぞ」
とある友人経由から、こんな衝撃的な紹介を受けたことを今でも鮮明に覚えている。
「え、カンボジア?しかも起業?どういうこっちゃい!?」といくつもの?が
頭に思い浮かんだ。
当時の僕は、就職活動も終わった大学4年生。
海外なんて興味はなく、カンボジアに至っては地雷と戦争のイメージしかなかった。
そんなドメスティックな僕に彼女はガツーンと刺激を与えてくれたのだった。
彼女の第一印象はまさに「弾丸」そのものだった。
大学2年次にカンボジアと出会ってから、それからはずっとカンボジアに
のめり込み、卒業後はカンボジアで働くという。
*のめり込み過ぎて、当時は大学5年目に突入していたが笑、
「なぜカンボジアなのか、なぜ起業しようとしているのか」
あまりにぶっ飛んでいた話だったので、聞いてみるとそこには
彼女の苦悩と葛藤の末に導かれた結論だったんだと納得することになった。

*吉川さんが働く村での一コマ。余りにかわいくてカンボジア移住を考えました。
■カンボジアとの出会い
実は吉川さんは元々カンボジアに興味があった訳ではない。
彼女の親が昔から世界各地の遺跡を調査している関係で、
幼い頃から、自然と遺跡に興味を持つようになったとのこと。
「将来の夢はユネスコで働くこと!」
そう思い、大学進学も遺跡について学びたいと思い、
早稲田に進学。
しかし、希望していた授業はことごとく選外となりテンションが一旦落ちかける。
それではいかんということで、自分で世界各地の遺跡を観て回ろうと、
主にヨーロッパ各地を巡る旅に出る。
ただ、見て回れば回るほど、自分の入り込む余地がないことを
痛感したという。
そんな中、とあるスタディツアーでたまたま訪れた先がカンボジアだった。
そこで彼女は衝撃を受ける。
「カンボジアの人たちはその地にどっしりと根を張って生きていた。
たった10歳くらいの子供でも、その中で自分の役割を全うしていた。
一方、当時20歳の私は何がやりたいのかも分からずふらふらしている。。
一体これってどういうことなんだろうか」
それと同時に「この人たちからもっと学びたい」
そういった思いが徐々に込み上げてきたとのこと。
そうしてカンボジアにのめり込む日々が始まった。

*カンボジアは大地の力をとても感じる。
■日本、それともカンボジア?、
それからは学生時代の大半をカンボジアにささげる日々が続く。
月日は巡り、彼女も就職を考えなければならない時期に差し掛かる。
2008年の就職活動の状況は「いざなぎ超え」といわれたまさに
好景気真っ只中。
今じゃ信じられないけど、「内定いくつもらったか」
を酒の肴に飲むみたいな状況でした。
だから就職しないなんて選択肢は当時からしたらありえないことでした。
「日本で一度就職するか、それともカンボジアでいきなり働くか。。。」
当時はかなり葛藤したみたいです。
実は就職活動も少ししていて、内定ももらっていたみたいです。
しかし、彼女からどうしても消し去ることが出来なかった「カンボジア」。
普通に考えれば、一旦日本で働いてからカンボジアで働いても
いいんじゃないかと思います。けれども彼女はそれが嫌だった。
「大好きなカンボジアで、大好きなカンボジア人たちと、この国の
行く末を見届けたかった。急速に発展しているカンボジアで、
一年もいないと取り残されてしまう。そうなったらもう戻って来れない」
そう思ったという。
とはいえ、彼女の前にはもう一つ大きな壁にぶち当たります。
「仕事はどうするのか」ということです。

*神々しいまでの遺跡
思い悩んだ末に出てきた結論は「仕事を創る」こと。
当時、カンボジアの主要観光地であるシュムリアップには
既に沢山の日本人観光客が訪れていた。
しかし、各旅行会社も似たようなツアーばかり。
観光客としても旅行会社としても新しいツアーがないかと
潜在的なニーズが高まっていた。
彼女はそこに気がつき、今までにない新しいツアーを創ることで、
生きていこうと決意。
学生時代から縁があった遺跡修復センターに、籍だけを置かせて
もらい、「遺跡修復現場を巡るツアー」を旅行会社に企画提案。
彼女の予想はどんぴしゃで当たり、見事に新しい仕事を自ら創り、
今はそこからの収入で、カンボジアでたくましく生きている。
■人生というゲームに参加するということ
そんな彼女も今年でカンボジア生活4年目を迎えている。
元々シュムリアップ自体、数多くの日本人が訪れる土地であったこと、
さらに彼女のような珍しく面白いツアーを実施しているところが
少なかったため、数多くのお客さんがこのツアーを利用してくれたとのこと。
昨年1年間だけ約1000人以上の方たちをアテンドし、
中には国を動かしているレベルの方たちもアテンドし、仲良く
なったとのこと。。。
彼女をみていると本当に意思あるところに人が集まって、
結果的に道が開かれていくんだと痛感する。
しばしば、就職先に悩む後輩たちに彼女を紹介するときがある。
中には「いやー吉川さんだからこそ出来たと思いますよ。」と
ある種彼女を特別扱いしてしまっている学生もいる。
もちろん、彼女と全く同じ道を歩むのは無理だと思うし、
その必要はない。
それぞれのストーリーがあって、その人なりの道を歩めばいい。
ただ、自分なりの道を歩むにあたって、彼女から学べることは
多い。
ツアーの話にしたって、同じようなことを思っていた人は多いはず。
けれども、実行に移したのは彼女だけだったのだ。
それ以前に、内定を蹴ってまで、こちらで働くという「意思」
がなければ、今の仕事は生まれていなかっただろう。
僕からみると彼女は本当に頭が良くて、普通に働いていても、
恐らくかなり期待をされて、不自由のない丘陵をもらい、
バリバリ働いていたんじゃないかと思う。
けれども、彼女はその道を選ばなかった。
ある程度予想できる未来ではなく、先の見えない、けれども、
自分が歩みたい道を自分の意思で選び、今確実に道を作っている。
「リスクをとらないとリターンは得られないんだよ」
これは昨晩、とある事業家の方とご一緒させてもらったときに
頂いた言葉である。
人生を壮大なゲームだとすると、自分が求めるリターンを得るためには
それなりのリスクをとらないといけない。
いくら理想論を語ろうが、頭が良かろうが、自分自身が体を張って
リスクを取っていなければ、周りの人たちは応援しないだろうし、
自分が得たいとリターンも得られるはずがない。
「日本人の大半は、リスクを恐れる余り、人生というゲームに
参加すらしていない。」ということもおっしゃっていた。
この言葉を頂いたとき、真っ先に思い浮かんだのは吉川さんだった。
今の彼女の姿を見ていたら、仮に学生の頃知らなくても、
応援したくなってしまうし、自分が出来ることは何でもしたいと
自然と思ってしまう。
それだけ彼女は魅力的だし、覚悟を持って働いているからなんじゃないか。

*村で出会った少年。いい笑顔^^
■吉川さんのこれから
そんな彼女だが、決して順風満帆な訳ではない。
ツアーにはまだまだ改善点が多いらしく、日々その改善に取り組んでいる。
またいつまでも吉川さんだけがガイドしているのではなく、
後継者も育てていかなければならない。
さらには新しいツアーも創っていこうとしている。
彼女がやりたいことは
「遺跡」と「観光」の距離をもっと縮め、
持続可能な形での新しい遺跡保存のあり方を生み出すことである。
世界的にもまだ事例がない取り組みで、日々試行錯誤をしている。
もちろん、この取り組みに対して、全員が賛成している訳ではなく、
反対する人も多いという。
けれども、彼女は今の生き方を変えないだろうし、これからも意思を持って、
未踏の分野を切り開いていくに違いない。
こんな友人を持てて、僕は本当に幸せ者だと思う。
彼女の一友人として、彼女と切磋琢磨できるように、
自分もこの地でやっていきたい。
もし、カンボジアに行く予定がある方はぜひ吉川さんに
会って欲しいと思う。
彼女のツアー自体も無茶苦茶勉強になるし、
この生き様をみておくだけでも、その後の自分の進路を考える際にも
役立つのではないかと思っている。
*彼女が取り上げられた記事を最後に紹介しておきます。
カンボジアに就職した吉川舞さん
それでは今回は以上です。
長くなってしまいましたが、ここまで読んでくださった方、
いつも本当にありがとうございます!
川村