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Posted by vietnhat at

2011/09/29

ツアー報告①~ホーチミン戦国時代~

co-creation journey logo (1)

2011年8月13日~19日@ホーチミンにて、「co-creation-journey」というツアーを実施しました。
目的は「ベトナム人と協力し合いながら、仕事の種を生み出すこと」です。

僕はベトナム側の調整担当という役割で、日本とベトナム双方でやりとりをしながら、
このツアーをつくってきました。

・「ベトナム人の方たちと一緒になって、仕事を種を生み出す」という恐らく誰もやったことがないツアーを
  1週間で設計すること。
・人生初となる英語を使ってのベトナム人とのコミュニケーション、
・普段住んでいるわけではないホーチミンのアテンド

などなど、数え上げればキリがないくらい、初めて尽くしの仕事でした。


ツアー中は個性ありすぎな日本人参加者の方たち、そして数多くのホーチミン在住の日本企業、起業家の方々、
そしてベトナム企業、ベトナム人起業家、学生の方々と関わる中で、本当に多くを学ばせてもらいました。

この経験は、日本の方たち、特に僕より(26歳)よりも下の世代の人たちに向けて共有したいと思っています。
現状に違和感を感じている方、またはいつか海外で何かをしたいと考えている方にとって、
この記事が少しでも皆さんの役に立てたならば嬉しく思います。

数回に分けて更新していきます。
長くなりますが、どうか宜しくお願い致します。
まずは肌で感じたホーチミンのビジネス環境について書きます。


■ホーチミンのビジネス環境~戦国時代到来~

群雄割拠の戦国時代が到来しています。
「まさに今から」の市場なんだと感じました。

ホーチミンの日系企業進出数は商工会登録数だけでも約500社と言われています。
「生産拠点」として、コストメリットでの進出はもちろん、
最近では「消費市場」として、ベトナム人を相手にしたビジネスを始めるべく、
進出する日系企業も多いみたいです。

[世] ベトナムの一人当たりの名目GDP(USドル)の推移(1980~2011年)
こちらのグラフを見るとまさに右肩上がり。1200ドルを突破しぐんぐん伸びています。
僕自身、ホーチミンの中心街にあるモールのフードコートには何度か足を運びました。
ほとんどがベトナム人で、一食辺り20万ドン(約800円)~以上はする食事をバンバンしていて、
度肝を抜かれました(ちなみに僕の平均食事単価は2万ドン~3万ドン(80円~120円))

そして、ちょっと調べただけでもこれだけの日系企業が既に進出済&進出予定です。
【小売系】
高島屋
イオンの現地の大学との人材育成提携&進出。
ファミリーマートも既に8店舗進出済。
ローソンも近々進出予定。
【人材系】
リクルートの進出。
【飲食系】
サッポロビールは工場ごと進出済。
大戸屋も年内に出店予定。

……このように日本人なら誰もが知っている大企業がこぞって進出しています。
それほど、ベトナムの市場が魅力的になっている証拠なのでしょう。

更に更に、日系企業の投資額はベトナム全体からしたらほんの数%にすぎないらしいです。
つまり、他国はより投資&進出しているということです。

まさに戦国時代。。。
日本の好景気時代を知らない僕にとっては感じたことのない空気です。
いるだけでソワソワ、ワクワクする?そんな感覚です。

ある調査会社発表した、
2025年までの都市別経済成長率ランキングでは、
ホーチミン・ハノイが1位と2位にランクインしているらしいのですが、それもうなずけます。


こうした状況の中、いわゆる「個人」が単独でやってきて仕事は創れるのでしょうか。。。
大資本がないと何も出来ないのではないかと思わされます。

ところが、ホーチミンでは既に多くの日本人が、個人で既に仕事をつくり、
たくましく生きていました。

次回はそんな方たちを紹介致します。

川村  


Posted by やっつ at 10:06Comments(0)

2011/06/26

カンボジアで働く吉川舞さん

随分前の話になるが、今年1月に、カンボジアで働く吉川さんに会うべく、
カンボジアはシュムリアップに行ってきた。

僕は幸いにもとても尊敬する友人が何人がいる。
彼女はその中でも、己の信念に基づき生きていて、
いつも刺激をもらっている本当に尊敬している友人の一人である。

IMG_1145_convert_20110626024809.jpg
*彼女が働く「バイヨン」という遺跡。
 真っ青な空の下に佇む遺跡はただただ美しかった。

■吉川さんとの出会い


「カンボジアで起業しようとしている奴がいるぞ」


とある友人経由から、こんな衝撃的な紹介を受けたことを今でも鮮明に覚えている。
「え、カンボジア?しかも起業?どういうこっちゃい!?」といくつもの?が
頭に思い浮かんだ。

当時の僕は、就職活動も終わった大学4年生。
海外なんて興味はなく、カンボジアに至っては地雷と戦争のイメージしかなかった。
そんなドメスティックな僕に彼女はガツーンと刺激を与えてくれたのだった。

彼女の第一印象はまさに「弾丸」そのものだった。
大学2年次にカンボジアと出会ってから、それからはずっとカンボジアに
のめり込み、卒業後はカンボジアで働くという。
*のめり込み過ぎて、当時は大学5年目に突入していたが笑、

「なぜカンボジアなのか、なぜ起業しようとしているのか」

あまりにぶっ飛んでいた話だったので、聞いてみるとそこには
彼女の苦悩と葛藤の末に導かれた結論だったんだと納得することになった。


IMG_1269_convert_20110626030655.jpg
*吉川さんが働く村での一コマ。余りにかわいくてカンボジア移住を考えました。


■カンボジアとの出会い
実は吉川さんは元々カンボジアに興味があった訳ではない。
彼女の親が昔から世界各地の遺跡を調査している関係で、
幼い頃から、自然と遺跡に興味を持つようになったとのこと。

「将来の夢はユネスコで働くこと!」

そう思い、大学進学も遺跡について学びたいと思い、
早稲田に進学。

しかし、希望していた授業はことごとく選外となりテンションが一旦落ちかける。
それではいかんということで、自分で世界各地の遺跡を観て回ろうと、
主にヨーロッパ各地を巡る旅に出る。

ただ、見て回れば回るほど、自分の入り込む余地がないことを
痛感したという。

そんな中、とあるスタディツアーでたまたま訪れた先がカンボジアだった。
そこで彼女は衝撃を受ける。

「カンボジアの人たちはその地にどっしりと根を張って生きていた。
 たった10歳くらいの子供でも、その中で自分の役割を全うしていた。
 一方、当時20歳の私は何がやりたいのかも分からずふらふらしている。。
 一体これってどういうことなんだろうか」

それと同時に「この人たちからもっと学びたい」
そういった思いが徐々に込み上げてきたとのこと。

そうしてカンボジアにのめり込む日々が始まった。

IMG_1113_convert_20110626032542.jpg
*カンボジアは大地の力をとても感じる。

■日本、それともカンボジア?
それからは学生時代の大半をカンボジアにささげる日々が続く。
月日は巡り、彼女も就職を考えなければならない時期に差し掛かる。

2008年の就職活動の状況は「いざなぎ超え」といわれたまさに
好景気真っ只中。

今じゃ信じられないけど、「内定いくつもらったか」
を酒の肴に飲むみたいな状況でした。
だから就職しないなんて選択肢は当時からしたらありえないことでした。

「日本で一度就職するか、それともカンボジアでいきなり働くか。。。」

当時はかなり葛藤したみたいです。
実は就職活動も少ししていて、内定ももらっていたみたいです。

しかし、彼女からどうしても消し去ることが出来なかった「カンボジア」。

普通に考えれば、一旦日本で働いてからカンボジアで働いても
いいんじゃないかと思います。けれども彼女はそれが嫌だった。

「大好きなカンボジアで、大好きなカンボジア人たちと、この国の
行く末を見届けたかった。急速に発展しているカンボジアで、
一年もいないと取り残されてしまう。そうなったらもう戻って来れない」
そう思ったという。

とはいえ、彼女の前にはもう一つ大きな壁にぶち当たります。
「仕事はどうするのか」ということです。

IMG_1119_convert_20110626033834.jpg
*神々しいまでの遺跡

思い悩んだ末に出てきた結論は「仕事を創る」こと。
当時、カンボジアの主要観光地であるシュムリアップには
既に沢山の日本人観光客が訪れていた。

しかし、各旅行会社も似たようなツアーばかり。
観光客としても旅行会社としても新しいツアーがないかと
潜在的なニーズが高まっていた。

彼女はそこに気がつき、今までにない新しいツアーを創ることで、
生きていこうと決意。

学生時代から縁があった遺跡修復センターに、籍だけを置かせて
もらい、「遺跡修復現場を巡るツアー」を旅行会社に企画提案。

彼女の予想はどんぴしゃで当たり、見事に新しい仕事を自ら創り、
今はそこからの収入で、カンボジアでたくましく生きている。

■人生というゲームに参加するということ


そんな彼女も今年でカンボジア生活4年目を迎えている。
元々シュムリアップ自体、数多くの日本人が訪れる土地であったこと、
さらに彼女のような珍しく面白いツアーを実施しているところが
少なかったため、数多くのお客さんがこのツアーを利用してくれたとのこと。

昨年1年間だけ約1000人以上の方たちをアテンドし、
中には国を動かしているレベルの方たちもアテンドし、仲良く
なったとのこと。。。

彼女をみていると本当に意思あるところに人が集まって、
結果的に道が開かれていくんだと痛感する。

しばしば、就職先に悩む後輩たちに彼女を紹介するときがある。
中には「いやー吉川さんだからこそ出来たと思いますよ。」と
ある種彼女を特別扱いしてしまっている学生もいる。

もちろん、彼女と全く同じ道を歩むのは無理だと思うし、
その必要はない。
それぞれのストーリーがあって、その人なりの道を歩めばいい。

ただ、自分なりの道を歩むにあたって、彼女から学べることは
多い。

ツアーの話にしたって、同じようなことを思っていた人は多いはず。
けれども、実行に移したのは彼女だけだったのだ。
それ以前に、内定を蹴ってまで、こちらで働くという「意思」
がなければ、今の仕事は生まれていなかっただろう。

僕からみると彼女は本当に頭が良くて、普通に働いていても、
恐らくかなり期待をされて、不自由のない丘陵をもらい、
バリバリ働いていたんじゃないかと思う。
けれども、彼女はその道を選ばなかった。

ある程度予想できる未来ではなく、先の見えない、けれども、
自分が歩みたい道を自分の意思で選び、今確実に道を作っている。


「リスクをとらないとリターンは得られないんだよ」

これは昨晩、とある事業家の方とご一緒させてもらったときに
頂いた言葉である。

人生を壮大なゲームだとすると、自分が求めるリターンを得るためには
それなりのリスクをとらないといけない。

いくら理想論を語ろうが、頭が良かろうが、自分自身が体を張って
リスクを取っていなければ、周りの人たちは応援しないだろうし、
自分が得たいとリターンも得られるはずがない。

「日本人の大半は、リスクを恐れる余り、人生というゲームに
参加すらしていない。」ということもおっしゃっていた。

この言葉を頂いたとき、真っ先に思い浮かんだのは吉川さんだった。

今の彼女の姿を見ていたら、仮に学生の頃知らなくても、
応援したくなってしまうし、自分が出来ることは何でもしたいと
自然と思ってしまう。
それだけ彼女は魅力的だし、覚悟を持って働いているからなんじゃないか。

IMG_1264_convert_20110626041513.jpg
*村で出会った少年。いい笑顔^^

■吉川さんのこれから

そんな彼女だが、決して順風満帆な訳ではない。
ツアーにはまだまだ改善点が多いらしく、日々その改善に取り組んでいる。
またいつまでも吉川さんだけがガイドしているのではなく、
後継者も育てていかなければならない。

さらには新しいツアーも創っていこうとしている。


彼女がやりたいことは
「遺跡」と「観光」の距離をもっと縮め、
持続可能な形での新しい遺跡保存のあり方を生み出すことである。

世界的にもまだ事例がない取り組みで、日々試行錯誤をしている。
もちろん、この取り組みに対して、全員が賛成している訳ではなく、
反対する人も多いという。

けれども、彼女は今の生き方を変えないだろうし、これからも意思を持って、
未踏の分野を切り開いていくに違いない。
こんな友人を持てて、僕は本当に幸せ者だと思う。

彼女の一友人として、彼女と切磋琢磨できるように、
自分もこの地でやっていきたい。


もし、カンボジアに行く予定がある方はぜひ吉川さんに
会って欲しいと思う。

彼女のツアー自体も無茶苦茶勉強になるし、
この生き様をみておくだけでも、その後の自分の進路を考える際にも
役立つのではないかと思っている。

*彼女が取り上げられた記事を最後に紹介しておきます。
カンボジアに就職した吉川舞さん


それでは今回は以上です。
長くなってしまいましたが、ここまで読んでくださった方、
いつも本当にありがとうございます!

川村  


Posted by やっつ at 04:48Comments(0)海外で働く人

2011/06/03

ホーチミンなう

ホーチミンにやって参りました。

実は8月に、新たなツアー@ホーチミンを企画しております。
今回はその下見にやってきております。

いやはや、都会は来るだけでドキドキしますね笑。

IMG_0359_convert_20110603114051.jpg
*アイスコーヒーがおしゃれ。

IMG_0357_convert_20110603115017.jpg
*とても煌びやかな日本食料理屋を発見。

また、報告して参ります!

川村

  


Posted by やっつ at 11:53Comments(0)旅行記

2011/05/30

日本人として海外で働くということ

大分、更新が滞りました!

前回更新したのが、4月10日だったので、もう1ヶ月半以上が
経ってしまったことになりますね。


この間、
1:ホイアンチャリティーコンサート開催
2:夏のツアーへ向けた準備
3:フエ外大の4年生卒業準備
4:期末試験
・・・などなど、目の前のことに追われまくっておりました。
ブログは、自身を振り返る機会にもなるので、意識的に書く時間を増やしていきます。

さて、最近良く考えることとして「日本人として海外で働くこと」
について思うところがあるので、書き留めておきたい。

IMG_0298_convert_20110530005606.jpg
*よく行くカフェの小僧。英語ペラペラ。最近は日本語で「マタキタノ?」と言われる。

今、自分がいるフエという街は、日本人であることがある程度の価値になる地域の
ひとつであると思う。
それは、このブログで何度も書いてきたので、今回は割愛する。

ここで働きはじめた当初は「日本人であることが価値になるなんてラッキーだな」
くらいに思っていた。
けれども、それはラッキーでも何でもないことなんだと最近感じている。


つまり、日本人が価値になるということは、ベトナム人からの見本になるからであって、
ベトナム人と同じような仕事の仕方をしていてはだめなんだ。
こちらに住んで何年も経っている方にとっては当たり前なことだと思うが、
ようやく気づきはじめてきた自分。。。


ベトナム人の方たちが思う日本人像は大体以下3点である。
・時間厳守
・約束は必ず守る
・まかされた仕事は最後までやり抜く

「なんだそんなの当たり前じゃん」

と思われる方が多いかと思うが、その当たり前が当たり前ではないベトナムだからこそ
日本人であるだけで価値が出るということである。

ほかにも日本人の当たり前レベルは、異常に高いことがあるため、
そういう意味でも、ある程度の日本人としての教育を受けてきた人であれば、
海外は思った以上に身近な存在であるということは一貫して伝えていきたい。


しかし、決して誰でもいいというわけではない。

語学が出来なくても、特別なビジネススキルがなくても、海外では働ける可能性はある。
とはいえ、海外では必ず「日本人」として周りから見られるため、それ相応の行動が
強く求められてくる。
上記はその代表的な例である。

正直、僕はこの一年で結構失敗してきている。
時間に遅れてしまったこともあるし、約束を破ってしまったこともある。

これは、特に対ベトナム人に対してやってしまうと、
個人レベルの問題ではなく、「日本人」そのもののイメージの損失にも繋がってしまう。

周りに日本人が少ないからこそ、価値が出る反面、そんな行動をしてしまうと、
大きな不利益となってしまうのだ。

日本ではあくまで「個人対個人」の問題で済むとしても、こちらではそうはいかない。

日本人として海外で働くということは、「日本」を背負って働かなければならない。

数々の失敗をして、こうしたことを強く感じている。

IMG_0308_convert_20110530011304.jpg
*晴れた日のフエの様子。綺麗だなー




時々、有り難いことにブログ経由から、
「いきなり海外で働くのはありなのでしょうか」と質問を頂くことが
多くなってきた。

正直、いきなりありかなしかで言われると、個人によるので
何ともいえませんが、、、

ひとつ思うのは、こうした日本人として求められる
働き方が出来ないのであれば、日本にいたほうが良いと言う事である。


「おいおい、じゃあ君はどうなんだね」

こういう質問は最で、僕だって出来ているかといわれれば、Noである。
けれども、こうして失敗してきてようやく気づけたことであるからこそ、
このブログを通じて、伝えていくことが出来るのだ(言い訳!?)。

とはいえ、幸いにも、自分の周りにはこうした苦言をわざわざおっしゃってくれる
方々がいる。

会社の上司でもないにも関わらず、「日本人」であるだけで、
言っていただけるのは本当に恵まれている。
Mさん、Fさん、本当にありがとう御座います。


ということで本日は以上。
今週はホーチミン出張です!
久しぶりの都会なので、ウキウキです笑。

Hen gap lai!


川村  


Posted by やっつ at 01:24Comments(0)フエの日常

2011/02/14

ベトナムバレンタインデー

IMG_0507_convert_20110214230706.jpg
*学校で出会った謎のドラえもん。


本日は2月14日、バレンタインデーですね。
日本はワクワクソワソワしている男たちで溢れていることでしょう。

ベトナムもバレンタインデーはあります。
当然、女子率99%を誇る我がフエ外国語大学、しかも
若手日本人教師と言えば、僕しかいません。

「完全にポジショニング勝ちだ。
 やっとバレンタイン勝ち組になれる。。。」

昨日はどうやってかっこよくチョコレートをもらうかで
そわそわしながら眠りにつきました。

迎えた当日。
いつもより少し小奇麗な服をまとい、学校へ向かう。

すると、早速出会った僕の生徒たち。

「では、そこに並んでください」

そういいかけた刹那、





「先生、早くチョコレートをください」





と言うではありませんか。
「何を言っているんだこの子は」と半ば怒り気味に話をしてみると

「先生こそ何をいっているんですか?ベトナムでは男性から女性にチョコレートか
花束をあげるのがバレンタインデーなんですよ。そのくらいも分からないんですか?」
と逆にベトナムの風習をとうとうと教えられました。

その後、意気消沈で、家に帰ると、1通のメールが生徒から届いていた。

「なんだなんだ」と思い、メールフォルダをあけると、


生「先生、バレンタインデーはチョコレートをもらいましたか?
  私に会えば、議事チョコレートがもらえますよ。
  あ、でもあと少しでバレンタインデーは終わりますね。
  私は遠いところに住んでいるので、先生のところまで渡せそうに
  ないです。残念ですね笑。おやすみなさい」


・・・こんな皮肉を込めた文章を書ける生徒に感動しつつ、
   複雑な思いを抱いたバレンタインでした。

以上。

川村  


Posted by やっつ at 23:20Comments(2)フエの日常

2011/02/13

ラオスで働く山田君

IMG_1321_convert_20110213141711.jpg
*ラオス滞在中ずっとお世話になった山田君。学生ながら、休学してラオスのNGOで働く。
実は弟の友達で、その縁で兄の僕も知り合うという関係。


昨日、フエに戻って来ました。
約10日間の旅でしたが、とても刺激的な旅に
なりました。

ずっと行きたかったカンボジアのシュムリアップ
で働く吉川舞さんのところをはじめ、
かものはしプロジェクト共同代表の青木さんや、現地の日本人情報誌を
作っている方ともお話が出来、現地の話をたくさん聞かせてもらいました。


その後、ラオスに行き、山田君のアレンジで、青年海外協力隊の方、
JICA職員の方、日本人でラオスにてカフェを開いている方などと
お話が出来、非常に濃い日々でした。

ベトナムとカンボジア、ラオスの距離は近いけれども、
普段の仕事があるため、中々行くことが出来ませんでした。

今回時間が取れて、彼らとお会いできたことでこれからの
自分を振り返ることが出来ました。

お話させて頂いた皆様、本当にありがとうございました。

IMG_1360_convert_20110213141319.jpg
*ラオスの首都ビエンチャンから車で3時間ほどの「ボリカムサイ」という
ところで働く太郎さん。ほぼ初対面にも関わらず、お世話してくれました。

さてさて、色々書きたいことはあるのですが、
今回ラオスを紹介してくれた山田君のことをまず
書かせて頂きます。

山田君は現在24歳。現在某大学の院生ですが、
現在休学中して、移民について扱うNGOで無給インターンを
しています。

バイトも出来ないくらい忙しいらしいので、
現在一日4ドルの貧乏生活をしています。

そんな状況でなぜラオスにということだったが、
彼は将来、国際協力を仕事にしたいとずっと思い続けていて、
たまたま現在のNGOがインターンを募集していたため、
飛び込んだとのことでした。

実は彼とは3年ほど前に会っていて、その頃は就職するか
それとも、当時内定していた日系企業にいくかどうか
とても悩んでいた頃でした。

当時、前述した吉川舞さんを紹介したりするなど、
既に海外で働いている先輩の事例をたくさん見てもらえればと
思い、話し込んでいく中で仲良くなり、その関係が
今まで続いています。

そんな彼が、国際協力という分野に興味を持ったきっかけは
なんとベトナムにあったとのこと。

学生の時にJVSCという日越学生交流を目的とした学生団体で代表を務めていた彼。
その活動の中で、現地の学生たちと関わる中で、彼らの魅力にひかれ、
「いつかは自分も海外で何か仕事がしてみたい」と思うようになったとのこと。

彼が凄いなーと思うのが、その後就職活動をして、きちんと結果を出したにも
関わらず、「何か違うんじゃないか」と思い、自分と向き合ってきたことです。

内定先も商社や銀行など、今なら誰もがいきたがるんだろうなと思うところなのに、
それでも何かが違うと思い行動してきたこと。

その結果、現在はラオスで、ラオス人と厳しい上司に囲まれながら、
ほぼ英語のみで仕事をしている。

誰になんと言われようと、自分と対話をし続けて、愚直に行動している
姿は、後輩だろうと何だろうと、すげえなーと思うのです。

「国際協力」という言葉はそれ自体ぼんやりしていて、
一体何を持って国際協力とするのかが人によって大きく違います。

しかも、それを仕事にしたい場合は、一体何をしたら
いいのかいまいち分かりにくい分野です。

普通ならそんなぼんやりしたまま、まずは企業へ就職すると思いますが、
彼は自分の実感を大切にしながら、自分の進むべき道を探り続けている。
そんな姿を見て、僕は自然と彼を応援したくなるのです。

僕もベトナム生活がそろそろ1年になります。
ここでの生活が慣れてきたこともあり、時折だらけてしまうこともあります。

ただ、今回、彼の姿をみて、「このままじゃいかん」と奮起させられました。
旅行するときは、名所を見るのが普通だと思いますが、
僕は断然「人」をたずねる旅がいいです。

次会うときはお互い、少し成長した姿で会いたいですね。

今回のエントリーは以上です。
ここまで読んで頂きありがとうございました!

川村

  


Posted by やっつ at 15:41Comments(1)旅行記

2011/02/10

ラオス生活2日目

IMG_1295_convert_20110210024109.jpg
*ラオスの首都ビエンチャンの昼間の様子。ベトナムと違い、
 交通量の絶対数が少ない。そしてバイクは少なく、車が多い。


ラオス生活2日目。

本日は午前中にやるべきことをやり、
午後はカンボジアの友人吉川舞さんと共に、
元ビエンチャン在住の日本人の方たち、そしてそのお友達2名、計6名で
ラオス事情についてず~~~~~っとお話しておりました。

なんと14時から開始して、終わったのが20時。

その後、さらに友人の紹介で、こちらの国連機関で働くラオス人とJICAで働く方と
お食事しました。

会話で結構英語が出てきて、ビビッていたのは内緒です。
*ベトナム語の方が気軽に話せるという事実に気づきました笑


さて、一連の話をさせていただいていて、
ベトナムと似ているなと思ったことがビザのお話。

ラオスはベトナム同様社会主義国家であるので、
基本的には外国人が働くのはそれほどウェルカムではない。

対して、カンボジアは、空港で25ドル支払えば、即日
ビジネスビザ発行可能。
しかも、250ドルで延長更新も簡単とのこと。


外国人に利益をもたらしてもらおうという姿勢と、
あくまで自国で何とかしますという姿勢が現れているのかな。


もう少し詳しく調べなければならないが、ビザ一つとっても、国の
スタンスが現れていて面白いなと思った一日でした。

それにしても、これだけ近くにある国々でも、
こうした制度から、街の雰囲気、人柄はかなり違うことにびっくり。
今のところラオス人が一番優しげ。

あと2日滞在の間にラオス情報収集して参ります!

それではまた!

川村  


Posted by やっつ at 02:59Comments(0)旅行記

2011/02/09

ビエンチャンなう

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*道端の高校生。「どこ遊びにいくべ?」的な会話をしているんだと思われ。

ラオスは首都のビエンチャンに来ております。
ビエンチャンで働く友人をからかいに励ましに
いくという名の旅です。

現在、ベトナムは旧正月。
大学が13日までお休みかつ、他の仕事はネットさえ
あればどこでも仕事できるため、思い切ってやってきました。


IMG_1277_convert_20110209023845.jpg
*こちらラオス航空によるプロペラ機。初プロペラ機に少し緊張


かなりノープランで来てしまったのですが、
友人の紹介あって、青年協力隊の方たちやNGOで働く
日本人が集まる会に参加することが出来ました。

仕事現場訪問もさせてもらえることに。ラッキー。

また、ラオスは犬に追いかけられる率が高いらしく、
絶えず石を持っていないといけないとのこと。
噂の真偽を確かめるべく、明日犬とじゃれあって来ます。

それでは随時ラオス情報発信して参ります!

川村  


Posted by やっつ at 02:55Comments(2)旅行記