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2012/10/29
僕は一円も稼いだことがない
■初任給は400円@ベトナム
「10万ドン(*)=約400円」。ベトナムに行ってから初めて得たお金である。
当時、自分がベトナム人の方たちに
貢献出来ることは「日本語を教えること」しかなかった。
日本語が仕事になると気づき、先生にアピールをして
学校に何とか入れてもらった。その始めに頂いた給料が400円だった。
これは日給ではない。月給だ。
絶対額から言えば、笑っちゃうくらいの金額である。
でも、僕の中では、人生で初めて自分で考え、行動して、稼いだお金。
この400円は僕の中で、初めて稼いだと実感を持てるお金だった。
*「ドン」とはベトナムの通貨単位のこと
■「大学を出る」ということ
400円の給料を頂いた時、僕は25歳だった。
思えば、そのときまで「自分で稼いだ」経験が
まったく無かったことに気づかされた。
もちろん学生時代にアルバイトでお金を得ていたことはある。
しかし、それは既に出来たレールの上に乗っかることで得ていたお金である。
0から自分で考え、動いて稼いだことは25年間も生きてきて一度もなかった。
日本の友人からは「大学を出たのに、月給400円かよ」と言われた。
でも、僕からすると「大学を出てしまったから、月給400円なんだよ」と思う。
「大学を出る」ということはある意味で
「今まで一番リスクを取って来なかった生き方」
と言える。
家では親が何でも決めてくれた。学校では先生が決めてくれた。
そして会社に入れば上司が決めてくれる。
つまり、他人が良しとすることに身を委ね、他人の期待に応えようと
することで、リスクを避け続けてきたのだ。
その結果、僕は「25年間、一円も稼いだことがない自分」
が出来上がってしまっていた。
■大卒者が弱者になる時代
今は、これまでの仕組みや制度がどんどん機能不全を起こしている時代だ。
そんな時、大卒者(特に何もしてこなかった文系人間)はどんどん弱者になっていく。
『日本人の仕事がなくなる日』でも記載したが、
これから、替えが効く仕事は、コストが安い国にどんどん流れていく。
今まで、大卒者の雇用の受け皿であった企業も日本人を雇う
理由がなくなってきている。
なぜなら、企業の大きな目的の一つは継続することであるからだ。
継続していくにはコストメリットを追求することは当然の行為である。
間違っても日本の雇用を守ることが目的ではない。
更に、事業サイクルもどんどん短くなってきているため、
企業も人が育つ前に、事業が年を取ってしまう。
よって、専門性も何も磨いてこなかった大卒者は
遅かれ早かれ仕事を得ることは難しくなってくるだろう。
■「仕事をつくる」人の強さ
そんな時代において、強い人は誰か。
私は「仕事をつくる」人だと思う。
ベトナムで活躍している起業家の中には、職人が多い。
美容師、料理人、整体師、ネイリスト、など所謂
手に職がある人たちだ。
こういった人たちに出会う度に、尊敬してしまうし、
嫉妬してしまう。
中学、高校の頃、卒業してすぐに働く道を選んだ友人が
何人かいる。
ある人は大工に、ある人は美容師に、ある人は料理人になっていった。
正直な話、当時大学に通っていた僕は彼ら・彼女を心のどこかで馬鹿にしていたと思う。
でも、今思うと馬鹿野郎だったのは他でもない自分だったんだ。
彼ら・彼女たちは早いうちからリスクを取り、
自分たちがやりたいと思える仕事、打ち込める仕事を求め、
果敢に社会に飛び込んでいったのだ。
その道を選んだ友人たちは、今とても活躍している人も多い。
自分の腕一つで家族を持ち、養っている姿は惚れ惚れしてしまう。
■「仕事をつくる人」をつくる
ここでは「手に職がない人間はオワタ\(^^)/」
ということを言いたいのではない。
今、次々と自分の仕事をつくる人たちが増えてきている。
しかも、普段生活をする中で感じたちょっとした違和感や
問題意識、そして「こうなったらいいんじゃないかな」という
ような「自分の想い」から形になった仕事だ・
例えば、病児保育で有名なフローレンスの駒崎さんの原体験、
つまり、「母親の友人が、子供が病気になり会社を休んだらクビに
なったという話を聞き、『それはおかしいんじゃないか』という想いから始まったものだ。
また、『ナリワイ=やればやるほど仲間ができて健康になる仕事』づくりを
実践しているの伊藤さんは既に6つほど仕事を作っている。
すべて身の周りでおかしいと思ったことや、こうありたい!と思ったことを
仕事にしている。
ベトナムでも、「もっとベトナムを楽しめる情報が必要だ!」ということで
『べとまる』というサイトを作り、ここから具体的な仕事をつくろうとしている友人もいる。
規模の大小はあれど、こうした人たちとお話をしていると、
全員が全員、イキイキと毎日を過ごしている。
彼ら・彼女たちと話をしていて、
「仕事をつくる」ことは、今まで人任せにしてきた人生を
自分自身に取り戻すことそのものだと感じる。
そして「仕事をつくる」人が増えていくと、周囲にとても良いことが起こる。
それは新たに「仕事をつくりたい!」という人が現れ、
結果、「仕事をつくる人」をつくる場が生まれることだ。
ゼロから仕事をつくる場合、得てして苦労することが多い。
「ああやっておけば良かった」とか「これはしてはいけない」
など身をもって経験している場合が多い。
だから、身の周りで仕事をつくろうとしている人が現れると、
自分の経験が役に立つし、自然と助けたくなるもの。
こうした連鎖が、自分のことは自分で助けようとする
「自助」な人を生み出し、更にはそういった人たちが育つ
場を生み出すと確信をしている。
こうした動きはまだまだ始まったばかり。
日本には「人」しか資源がないと言われているが、
まだまだ開発されていないと強烈に感じている。
経済が曲がり角な日本だからこそ、人の可能性を挽き出す
ことこそが、今の日本には必要なのではないか。
僕自身、いつまでも「仕事をつくる」当事者でありたい。
そして「仕事をつくる人をつくる」場を生み続けていきたいと思っている。
「10万ドン(*)=約400円」。ベトナムに行ってから初めて得たお金である。
当時、自分がベトナム人の方たちに
貢献出来ることは「日本語を教えること」しかなかった。
日本語が仕事になると気づき、先生にアピールをして
学校に何とか入れてもらった。その始めに頂いた給料が400円だった。
これは日給ではない。月給だ。
絶対額から言えば、笑っちゃうくらいの金額である。
でも、僕の中では、人生で初めて自分で考え、行動して、稼いだお金。
この400円は僕の中で、初めて稼いだと実感を持てるお金だった。
*「ドン」とはベトナムの通貨単位のこと
■「大学を出る」ということ
400円の給料を頂いた時、僕は25歳だった。
思えば、そのときまで「自分で稼いだ」経験が
まったく無かったことに気づかされた。
もちろん学生時代にアルバイトでお金を得ていたことはある。
しかし、それは既に出来たレールの上に乗っかることで得ていたお金である。
0から自分で考え、動いて稼いだことは25年間も生きてきて一度もなかった。
日本の友人からは「大学を出たのに、月給400円かよ」と言われた。
でも、僕からすると「大学を出てしまったから、月給400円なんだよ」と思う。
「大学を出る」ということはある意味で
「今まで一番リスクを取って来なかった生き方」
と言える。
家では親が何でも決めてくれた。学校では先生が決めてくれた。
そして会社に入れば上司が決めてくれる。
つまり、他人が良しとすることに身を委ね、他人の期待に応えようと
することで、リスクを避け続けてきたのだ。
その結果、僕は「25年間、一円も稼いだことがない自分」
が出来上がってしまっていた。
■大卒者が弱者になる時代
今は、これまでの仕組みや制度がどんどん機能不全を起こしている時代だ。
そんな時、大卒者(特に何もしてこなかった文系人間)はどんどん弱者になっていく。
『日本人の仕事がなくなる日』でも記載したが、
これから、替えが効く仕事は、コストが安い国にどんどん流れていく。
今まで、大卒者の雇用の受け皿であった企業も日本人を雇う
理由がなくなってきている。
なぜなら、企業の大きな目的の一つは継続することであるからだ。
継続していくにはコストメリットを追求することは当然の行為である。
間違っても日本の雇用を守ることが目的ではない。
更に、事業サイクルもどんどん短くなってきているため、
企業も人が育つ前に、事業が年を取ってしまう。
よって、専門性も何も磨いてこなかった大卒者は
遅かれ早かれ仕事を得ることは難しくなってくるだろう。
■「仕事をつくる」人の強さ
そんな時代において、強い人は誰か。
私は「仕事をつくる」人だと思う。
ベトナムで活躍している起業家の中には、職人が多い。
美容師、料理人、整体師、ネイリスト、など所謂
手に職がある人たちだ。
こういった人たちに出会う度に、尊敬してしまうし、
嫉妬してしまう。
中学、高校の頃、卒業してすぐに働く道を選んだ友人が
何人かいる。
ある人は大工に、ある人は美容師に、ある人は料理人になっていった。
正直な話、当時大学に通っていた僕は彼ら・彼女を心のどこかで馬鹿にしていたと思う。
でも、今思うと馬鹿野郎だったのは他でもない自分だったんだ。
彼ら・彼女たちは早いうちからリスクを取り、
自分たちがやりたいと思える仕事、打ち込める仕事を求め、
果敢に社会に飛び込んでいったのだ。
その道を選んだ友人たちは、今とても活躍している人も多い。
自分の腕一つで家族を持ち、養っている姿は惚れ惚れしてしまう。
■「仕事をつくる人」をつくる
ここでは「手に職がない人間はオワタ\(^^)/」
ということを言いたいのではない。
今、次々と自分の仕事をつくる人たちが増えてきている。
しかも、普段生活をする中で感じたちょっとした違和感や
問題意識、そして「こうなったらいいんじゃないかな」という
ような「自分の想い」から形になった仕事だ・
例えば、病児保育で有名なフローレンスの駒崎さんの原体験、
つまり、「母親の友人が、子供が病気になり会社を休んだらクビに
なったという話を聞き、『それはおかしいんじゃないか』という想いから始まったものだ。
また、『ナリワイ=やればやるほど仲間ができて健康になる仕事』づくりを
実践しているの伊藤さんは既に6つほど仕事を作っている。
すべて身の周りでおかしいと思ったことや、こうありたい!と思ったことを
仕事にしている。
ベトナムでも、「もっとベトナムを楽しめる情報が必要だ!」ということで
『べとまる』というサイトを作り、ここから具体的な仕事をつくろうとしている友人もいる。
規模の大小はあれど、こうした人たちとお話をしていると、
全員が全員、イキイキと毎日を過ごしている。
彼ら・彼女たちと話をしていて、
「仕事をつくる」ことは、今まで人任せにしてきた人生を
自分自身に取り戻すことそのものだと感じる。
そして「仕事をつくる」人が増えていくと、周囲にとても良いことが起こる。
それは新たに「仕事をつくりたい!」という人が現れ、
結果、「仕事をつくる人」をつくる場が生まれることだ。
ゼロから仕事をつくる場合、得てして苦労することが多い。
「ああやっておけば良かった」とか「これはしてはいけない」
など身をもって経験している場合が多い。
だから、身の周りで仕事をつくろうとしている人が現れると、
自分の経験が役に立つし、自然と助けたくなるもの。
こうした連鎖が、自分のことは自分で助けようとする
「自助」な人を生み出し、更にはそういった人たちが育つ
場を生み出すと確信をしている。
こうした動きはまだまだ始まったばかり。
日本には「人」しか資源がないと言われているが、
まだまだ開発されていないと強烈に感じている。
経済が曲がり角な日本だからこそ、人の可能性を挽き出す
ことこそが、今の日本には必要なのではないか。
僕自身、いつまでも「仕事をつくる」当事者でありたい。
そして「仕事をつくる人をつくる」場を生み続けていきたいと思っている。